些細なことなんだけど。


他人に構ってもらえるのがとてもうれしくて


懐かしい曲とか フレーズとか 記憶がよみがえると 自分の中で大切にとっておきたい思い出がよみがえってきて、あのときああしていたら 今頃あの人とはどんな関係でどんな風に今自分は この曲を聴いているんだろうとか思う。


ちょっとしたことが引き金となって頭の中でストーリーがとめどなく流れていく。


ほんとに自分の中で完結させてしまうことだらけなんだけど それでもそんな人が自分にもいるっていうのが凄いうれしくてたまらなくなる。


これから出会う人を大切にしていきたいなんてみんながいうセリフで嫌で仕方がないのだけど


今の気持ちはそんな気分。


最高に人が恋しくなるような。


一人スタジオで公演の振り練をしたせいかとても寂しい気持ちだったのだけど、急な頭のなかでの回想とそこからのストーリーで心が満たされたり・・・。


さて、今日も頑張るか!

脱力感あるなか ここ最近いつも通り 1日の達成感のないもやもやしたものを胸につかえさせて 明日を思ってベッドに横たわる。

暖めすぎた部屋と布団の中で スマートフォンを見ながらさらに寝つけない環境をつくっている。

最近鏡に映った自分が自分でないように見える。更けたような 表情のなさが怖く感じる。人間性がなく見えてしまう。

髪を切りに行って 美容師に話しかけられて愛想笑いを いかにも愛想笑いでしている自分が鏡に映ると 自分はいつもこんなにも不自然に笑ってるのかと 血の気がひく。

こんな人間性のないロボットみたいなやつだが
やはり気持ちの変化も乏しい。辛い 悔しい 寂しい 虚しい ネガティブな感情はでてくるが楽しい 嬉しい といった感情を出すとき 自分の中に壁ができる。楽しいと感じてるから笑わなきゃという強制的な気持ちがでてくる。

自分をなにかに例えるならロボットだ。なにも感じずに物事をこなしていく人。だから仕事はそこまで苦ではないが 休日が苦痛になってくる。

中学の頃 僕はロボットになりたかった。勉強が嫌いな僕はやらなければならないという気持ちはあって 感情のないロボットになりたかった。

職場などで 僕はよく怒ることがあるのかと聞かれる。正直ない。自分は父親違いの兄とよく口論になったが怒ることでどうにかなった試しがないし 変えることのできない人は他人がどう説いても変わらないことを知った。だから怒ることがあるとしたら本当に大事な人を思った時だけだと思う。

そんなこんなで感情というものが僕はなくなりかけてる。他の人はどうなのだろう。

そんな僕だが 客観的に見て可哀想に見える。凄い可哀想。大丈夫なのだろうかこのこは。

あ 昨日はOBOG公演の練習だった。なんでみんなあんなに振りが入るの?もうわかんない。

まあそんなとこで今日はおやすみなさい。




Android携帯からの投稿

風邪ひいて死にそうだったらばあちゃんに肩をたたいてもらった。


なんだか 泣きそうになった ふつう逆なんだけどさ たたいてくれたの


すごい自分にとって大切な人


親がいないものとして育った僕にとって 心の逃げ場だった


やっぱ この人が僕にとって一番大事にしなきゃいけない人だな


この人がいたからここまでやってこれたし 親の借金の時も 兄嫁に家追い出された時も 実習の時も

中学受験の時も 自分の価値がわかんなくなって どうしようもなかった時 この人のために死ななかったんだと思う。


中学から看護師をなんで目指したのかってよく聞かれるけど、その理由の一つがばあちゃんだった

早く自立して 親が借金でどうにもらなくなったとき ばあちゃんは僕が支えてあげたかったから

はやく看護師になれる高校から専門学校を目指した


考えるとばあちゃんが僕の人生で常に隣でいてくれてる


だから、僕の重要な選択の中にはばあちゃんが必ずいる


なんだか 過去と自分を結び付けられるようになってきた


最近人と呑むのが楽しい


すっごい変われてきてる。