人生初めての一人旅から1ヶ月が過ぎました。

外国という非日常空間で過ごしたことで、

日本で暮らしている自分という存在を、

客観的に見ることが出来たことはとても良いことでした。

 

 

特に、この旅行では、単なる観光旅行にとどまらず、

M先生やL先生と一緒に時間を過ごすことにより、

フィリピン国民の実際の暮らしぶりまで知ることが出来たことは、

大きな収穫でした。

 

 

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私は日本以外で暮らしことがありません。

海外旅行経験もとても少ないです。

だから、いくら、

 

「日本は豊かで恵まれている」

 

等の言葉を聞いても、実感は持ちづらいままでした。

 

それどころか、自分が生きている世界の、

不幸せや足りない部分に焦点を当てて、

我が身を嘆くことが多い人間でした。

 

 

だけど、セブで目にした、国としての貧しさは、

不満ばかり口にしている私に、

深い反省をもたらすことになりました。

 

M先生はとても優秀で堅実な女性です。

日本の企業に雇われて働いています。

それなのに、企業から払われる賃金は恐ろしく低く、

暮らしぶりも決して豊かではありません。

とても小さな家に、大人数の家族で暮らしています。

引越したばかりの家には、まだ電気も通っていないという話を聞いて驚きました。

 

私は、13年前に新築した家を、

「狭小ハイム」という名前で呼んでいました。

だけどその家は、彼女の自宅と比べると、とてつもなく広かったのです。

電気はもちろんのこと、便利家電で溢れた私の暮らしは何と贅沢だったのでしょう。

 

もう一人のL先生に話を移します。

彼女のお宅は、M先生宅と比べると豊かだといえるでしょう。

電気も通り、家電製品もありました。

 

だけどL先生によれば、その暮らしは、努力して努力して、

勝ち取っていった、努力の賜物であると力説しておられました。

結婚当初はとても貧乏で苦労していたそうです。

 

そんな彼女のお宅にも、洗濯機や水洗便所はありませんでした。

滞在中、彼女の同居のお母様が、

たらいに洗濯物を入れて一生懸命洗っている姿が目にやきついています。

 

だけど、フィリピンの中にあって、

その貧しさをより感じることになったのは、

最終日に訪れた、セブの観光地界隈にたくさんいる、

物売りの人たちの姿でした。

 

 

 

 

汚い身なりで痩せている老若男女が、

観光客と見るや、すり寄ってきてキャンドルやタオルを買うよう迫ってきます。

見るからに疲れた様相で、観光客の同情心を買おうと近づいてきます。

極めつけは痩せた赤ん坊を抱っこした母親でした。

 

そのような極限で生きている人々を見て、

 

「食べるためにはお金が必要」

「お金を稼ぐために働く」

 

という、働くことの原点を考えました。

「働くとは傍を楽にすること」だという言葉も良く聞くけれど、

それはある意味綺麗事だなと感じました。

「なぜ人は働くのか」と悩める人は、まずは、

自分が食べることが出来るということが保証された人なのだということを実感しました。


思い返せば、私は食べるために働いたこと(賃金労働)がありません。

大学卒業後就職したときも実家暮らしだったので、

自活しているわけではありませんでした。

 

 

結婚後も基本的には扶養されてぬくぬくと生きてきました。

だから余計に私は、働かないで食べられることの幸せを

感じることが出来ずにきたのだと思います。

 

 

私はこの旅を通じて、

日本で暮らせる物質的な幸せを、

心から実感することが出来ました。

 

 

この気づきを、これからの人生に生かしていこうと思います。