3月で退職したので、

午前中の好きな時間に外出出来るようになった私です。

保育園でのシフト勤務は、

トイレすらも自由に行けないくらいの不自由な世界。

 

好きな時間に動けることの幸せに、

 

「自由だぁぁぁあ」

 

と叫びだしたいほどの喜びを感じてます。

 

 

さて。

家事を終えて、午前中の10時前後に出かけると、

ちょうど保育園児のお散歩の時間にぶつかることが多いです。

子どもの賑やかな声に気が付き、ふと目を向けると、

カラフルな帽子をかぶった一団がそこにあります。

 

 

 

 

1~2歳児ですとカートに乗って、

それより大きな子たちですと、園児同士、もしくは保育士と手を繋いで、

テクテクと歩いています。

 

その様子は、ふと目を留めた方々にとっては、

 

「先生も子どもたちも楽しそうね」

「小さな子どもって可愛いわね」

 

などと、微笑ましく感じる一場面であることでしょう。

 

 

だけど、私には全く違って見えるのです。

 

先生が、楽しそうに子どもと話しているように見えて、

実は常に周囲の車や自転車に気を配っていること。

 

子ども同士のトラブルがないか、常に目を見張っていること。

を良く知っているから。

 

ですから、私はお散歩の一団を目にすると、

先生に向けて

 

「何て大変な仕事を頑張っているのだ」

「お疲れ様です!」

 

と、影ながらエールを送らずにはいられません。

 

 

先日は、そんな一団を横目に見ながら、自転車を運転していて、

「保育と安全」ということについてずっと考えていました。

 

保育園に勤務していた頃に、

このことについてのジレンマをずっと感じていたからです。

 

私は我が子の子育てのときには、

多少の怪我はあえて見ないふりをする母でした。

 

少しの怪我で必要以上にウェウェン泣くような子どもにはしたくなかったからです。

泣けば周囲が何とかしてくれる、という思考回路を作りたくないと思っていました。

 

その影響かは分かりませんが、

我が子は我慢が出来る子どもには育ったと思います。

 

そんな私の考え方は、保育の現場とは真逆だったので、

私はとても苦労しました。

 

保育園では安全が第一です。

お預かりした子どもたちに少しの擦り傷、切り傷があっても、

大問題なので、それはそれは過剰なぐらいに気を配って保育に当たっていました。

 

確かに安全は大切だし、大きな怪我はもちろんあってはいけませんが、

小さな怪我にも、ここまでの対応をするのは果たして良いことなのか、

というジレンマを、私はいつも抱えていました。

 

実際に、転んで少し擦りむいただけでも、

大げさに泣いて訴える子どもも多かったので、

 

「このままの感覚で成長したら、将来本人が困らないのかなぁ」

 

なんてことも良く考えていました。

 

また、安全を喫するあまり、子どもの活動の制限が多すぎることも、

気になるところでありました。

 

私の子どもの頃のように、子どもが自由に公園の遊具で遊んだり、

高いところから飛び降りる、

なんて危険が伴う遊びは、保育園では決して許されません。

 

このような遊びは危険ですけど、危険と隣り合わせだからこそ、

育まれる能力というのがあるんですよね。

昔は各家庭の責任でこのような遊びが許されていたのでしょうけれど、

今ではとうてい無理です。

 

保育園での保育を、ガチガチに規則で固めて安全を守らなければ

集団での保育はできません。

 

集団生活の中で、野放図に様々なことを認めると、

一人一人の子どもを見守ることは到底不可能ですからね。

 

こんなにも、子どもたちの安全を守ることは大変なのに、

さらに、心身の発達を促す教育もしなくてはならないとは。

 

今ふりかえっても、

本当に保育の仕事は大変でした。

 

 

保育士の皆様。

本当にお疲れ様でございます。