私は長らく、専業主婦であることにコンプレックスを感じてました。

母は昔から私に、

 

「女も手に職をつけて働かなきゃだめよ」

 

と言い続けており、その期待に応えていないことがもどかしかったのです。

 

だけど、母が寝たきりとなった今、その感情は完全に払拭されました。

 

「専業主婦で良かった」

「暇がたっぷりある主婦で良かった」

 

と、本当に心から、その立場を感謝したのです。

 

子どもたちが幼稚園に入る前は、

平日に良く一緒にハイキングをしました。

母が、草木の名前を、子どもたちに教えてくれたことも財産です。

 

幼稚園、小学校の頃は、春休み、夏休みごとに、長い旅行も行きました。

 

子どもたちが大きくなってからは、数ヶ月に1度、「おデート」と称して、近郊の街歩きや、山歩きを楽しんでました。

 

どれもこれも、私が働いてたら、実現しなかった時間でした。

 

実家と私の家の時間は約1時間半。

すごい近いわけではないけど、会いたいと願えば、すぐに会える距離。

この距離で暮らし、数ヶ月に1度、会って話をする時間を持てたこと。

 

これは、私にとって、何より幸せなことでした。

 

思えば、いつのおデートのときも、

駅での別れ際に、私が見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも手を振ってくれる母でした。

私はそれを見るたびに、「最後の別れじゃないんだから」と、胸にチクンとする痛みを感じていました。

母はいつも何かを覚悟してたのかな、と今さらながら思います。

 

最後のおデートは、コロナ禍の直前の2020年の1月、みなとみらいデート。

 

 

この直後に、大桟橋にダイヤモンドプリンセス号が停泊し、

クラスター発生と、大変な事態になったのでした。

私にとっては、象徴的な出来事でした。

 

それ以後、心配性な母は、コロナ禍で心身ともに弱っていったように思えます。

翌年のくも膜下出血も、その果ての発症かもしれないです。

コロナで時代の様相は変わりましたが、母との時間も一変したのでした。

 

そして私も、毎日保育士として働くようになりました。

そのこと、母は寝ていて、知りません。

母の意識が戻ったときに元気に報告したいです。

 

「母さん、私、手に職を持って働いているんだよ」って。