母が元気なときは、余計な延命措置はしたくない、と良く言ってました。

それは私も理解できます。

だからいざ、そんな決断をする場面がきたら、母の意志に沿った決断をするのだと漠然と思ってました。

 

だけど実際は、ジェットコースターのように事態が進み、気がついたら、

母の意識は戻らず、寝たきりのまま時だけが過ぎていく、ということになってました。

 

チューブで栄養を補給し、意識もない、この状況を、母はどう感じているのだろう。

母は意識がないようでいて、実は悲しんでたり、ということはないだろうか。

ましてや、コロナ禍で、家族に普通に会うことすら叶わないこの状況で。

 

「果たして、母は生きてる、って言えるのだろうか」

 

母にほとんど会えない、声も聞けない、メールのやりとりも出来ない、

こんな状況で、この疑問はいつも私にとりついていました。

 

だけど最近、その疑問が少しずつ解けてきました。

面会で、母が発する言葉を聞いたり笑顔を見て

 

「やっぱり、母は生きてる」

 

と感じることが出来たこと。

 

母の存在が、家族に影響を及ぼし続けてる、と感じたこと。

具体的には、父が母の暮らしを守り続けて、しっかり生きていること、もひとつ。

料理は母任せだった父が、自炊で栄養を考えた食事を取っている。

その写真を時々、LINEで送ってくれもします。

掃除も母がしてたように、しっかりして、部屋をきれいに整えています。

 

 

母が意識を戻す。

その希望を核に、家族はつながっています。

 

産んでくれてありがとう。

私はまだ、きちんと、伝えていないのです。