昭和が終わる頃、小学3年だった私の記録です。
今よりおおらかだった時代を思い出して、今の子育てにも何か繋がるといいな、という思いで綴っています。
時々今の子育てのことも。
私が小学校を楽しく過ごせたのは、家族と先生とクラスメイトのおかげだったけど、
絶対的な存在はえりちゃんだった。
2軒先の同じ並びに、住んでいた。
3年生で7クラスもあるクラス替えの発表があった日、えりちゃんと同じクラスになれたことが奇跡に思えて、小躍りしながら私たちは一緒に下校した。実際その後、同じクラスになることはなかったのだから、その同じクラスの2年間は奇跡だったのだと思う。
いつもいっしょに遊んだ。
いっしょに居残りをした。
いっしょに宿題をした。
えりちゃんのことは、何でも知っていて、
家族よりも濃い時間をいっしょにすごした。
のび太にドラえもんがいたように、
私にはえりちゃんがいた。
えりちゃんは、明るくて、スポーツ万能で、
いつも笑顔だった。
そして遊びを思いつく天才だった。
えりちゃんとだから、
想像力は倍になり、私たちは空も飛んだ。
高学年でクラスが離れて、
中学校では、とうとう一度も同じクラスに
ならなかった。
それで、いつもいっしょに学校にいっていたのに、
いつのまにか心の距離ができた。
何でも知ってたことが、知らなくなっていた。
私は高校生になった時、京都を離れた。
引っ越すことを、えりちゃんに、
自分の口から言えなかった。
私の引っ越しを知った日、
えりちゃんは夜にこっそり泣いたそうだ。
それは、ずいぶん後に手紙で知った記憶がある。
あんなにいっしょだったのに、
私たちは少しずつ離れて、
少しずつ自分の道を進んでいた。
今でも年賀状はやりとりするけど、
あの濃い濃い時間は
もう2度と戻らなかった。
それでも、あの時、あの昭和の最後の時、
えりちゃんと毎日過ごしたあの日々が
その後幾度も私を助けてくれたし、
これからも助けてくれるんだと思う。
永遠に同じ、はありえない。
少しずつ形が変わり、環境が変わり、
変化していく。
それは仕方のないこと。
だけど、あの時のあの一瞬が
永遠に心に力をくれることだってある。
どろんこになって遊んだ日。
かけっこした日。
お腹が痛くなるほど笑い合った日。
そんな子ども時代を
みんなが送れるといいと、本気で思う。