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昭和だった

昭和の最後、まだ私は小学生でした。
今思い返すと、おおらかな時代だったな、と思います。
その時代を思い返しながら、きっと今も、もっとおおらかな育児でも子どもはすくすく育つんじゃないかな、と思いながら書いていきたいです。

おばあちゃんが亡くなりました。
痴呆になり、もうずっと施設に入り、
普通の食事ができなくなり、
栄養のゼリーだけで何年も過ごし、
最後の3ヶ月は点滴の水分だけでした。

痴呆になっても、祖母は祖母らしく、
最後まで人に気をつかう穏やかな人でした。

祖母の家に行くには、隣の県だけれど、バスに乗り、阪急電車に乗り、地下鉄に乗り、近鉄電車に乗り、と、大変でした。
だから、夏休み、とか、冬休み、とか大きな休みの時しか行けませんでした。

そしていつもオアシスのような場所でした。何をしても怒られないし、お料理がとても上手だったおばあちゃんに、お腹も心も満たされて、大好きな場所でした。
子ども時代、そんな場所が確かにあって、過ごせたこと、なんて幸運だったのだろうと思います。

学校生活でも社会に出てもと嫌なこと、我慢することが山のようにあり、でも、今のところ鬱にもならずやってこれてるのは、子ども時代、あの場所があったからなんだと思います。

ぬくぬくと大切にしてもらえたあの場所。おばあちゃん家。
もう、あの声を聞くことはできないのは、やっぱり寂しい。

おばあちゃんありがとう。
またね。