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昭和だった

昭和の最後、まだ私は小学生でした。
今思い返すと、おおらかな時代だったな、と思います。
その時代を思い返しながら、きっと今も、もっとおおらかな育児でも子どもはすくすく育つんじゃないかな、と思いながら書いていきたいです。

娘が生まれて、数ヶ月のとき、それは起きた。
ママ友さんのおうちで、ママ友さんの生まれたての赤ちゃんとうちの娘を会わせて、お兄ちゃん同士はプラレールであそんでる、ほんわか幸せな午後だった。
 
ママ友さんのご主人から電話がかかってきて、すごい地震が起きたけれど、大丈夫か、と聞かれた。
私たちは何も気づいてなかった。

慌ててママ友さんがTVをつけると、押し寄せる海がうつって、本当に驚いた。
ただ、ただ、驚いた。

家に帰ってもTVの画面から離れられなかった。
どうしてこんなことが??
涙しか出なかった。
たくさんの情報が一方通行で流れ、受け止める力もなく、呆然としていただけだった。

その少し前に「きみのおうちへ」という大森南朋さんがナレーターをしてる、ペンギンと男の子のアニメがNHKやっていた。
ボードに乗って迷子のペンギンのため南極を目指すストーリーだったと思う。

3歳の息子はそれが大好きで、録画していたものを毎日繰り返し見ていた。

あの日、TVでの前で涙を流す私が彼には異様だったのだろう。次の日も、次の日も、私はそう過ごしていた気がする。

震災後から数日、そのアニメを見ていた息子が、ボードに波がザブーンとくるシーンをみて、
「やめて!消して!」
と画面に背を向けて大きな声で訴えた。

その声にハッとした。


あれから12年。
あの時のママ友さんとは今はもう疎遠になってしまった。
あの、幸せなほんかわな午後にはもう戻れない日が、あれからはじまった。
日本が、きっとそうだった。

忘れない。
伝えていく。
備える。
祈る。

そんな今日だった。