金融において、英語と日本語の違いは大きいですが、思想としては宗教的な影響が大きいと考えます。
日本は基本的に仏教的支配とか価値観が大きいですね。

その中で、お金に対する認識も欧米とは違いますし、思想的(つまり決断)においても、欧米ではYESかNOをはっきりさせることに対して、日本ではお任せみたいな曖昧なはっきりさせない概念が多いように感じます。

つまり、そういう基本的な思想の違いで、欧米は金融のプロ(個人責任)という概念が主体で、日本はその価値観(サービス供給者の責任が主なので)が弱い気がしています。

取引に関しても、日本はオーダードリブンという方法で、注文の集中により価格発見を行う方法です。
指値、成行(日本独自の概念)に対して、板情報が提供され、それゆえ手数料の概念が主体になるわけです。

欧米はクオートドリブンが主体であり、気配(日本人にはわかりにくい)をベースにレートという概念にスプレットを載せる収益構造となるため、ストリーミングに対してリーブオーダーがサポートされるわけです。
また、セルサイドとかバイサイドという概念が主体になるわけで、日本のような大口と小口の概念とは、切り口というか見方が違うわけです。

もう、英語なので、きちんとした日本語がありません。

ちなみに、ストリーミングは成行ではないですし、リーブオーダーは指値ではありません。
システムを作る側からすると、全く違う処理ですから。

しかし、多くの投資家目線ではそういうところを理解しなくても問題なく、複雑なことはシステムに任せれば良い時代です。

システム屋が考えるべきことは、これからのDXと金融を考えたとき、どういうシステムが日本に望まれるかです。

例えば、証券会社はセルサイドかバイサイドなのか?

ネットで検索した説明では駄目ですね。
切り口により見方が違うので、聞かれ方により、どちらかになるわけです。
バイサイドになったり、セルサイドになったりと。

また、大口と小口は清算方法に大きな影響があり、セル・バイサイドでの見方は流動性側に判断軸があるわけで、マーケットはこれらの状況を融合しながら最適解をみつけて処理(デザイン)しないとダメです。
つまりは、日本のような、お任せ概念(価格妥当性証明)の要件に対して、海外のような流動性概念を組み入れるような、そういうデザインをベースとして分散という矛盾したDX特有の処理を組み合わせていくわけです。

弊社では、デジタルアセットマーケッツ社(DAMS)に大きく関与していますが、新技術の話題性とかどうでもよくて、さらに暗号資産取引については後発参入ですから、先行の同業者と同じことをするわけがないです。
多分ですが、多くの報道をみていても先入観でDAMSを判断しているようですが、ステーブルという概念の処理を実現することの難しさを理解できていない内容が殆どであると思う次第です。

なぜ、DAMSをつくる必要があったのか、そのことを理解できている方や組織は本当に少ないと思っていますが、DX金融を日本も目指すのであれば、そのうちにDAMSの役割が理解されていくと考える次第です。