それでも、新事業にはその苦しみを超えていく価値があると信じている。
それもヒト類の進化としての新しいステージだと思うし、それに挑戦している者が持つ価値観でもある。
資本主義における銀行の代替、それは信用力の代替でもある。
明治維新の後、国民の資産をつくるために国がサービス(貯金の概念)を提供したことを話した。
令和の時代になって、国民の作ってきた資産を守ることが必要になり、そのためにフィンテックが動き出す。
そういう意味で、西本は令和維新だと言っている。
フィンテックとエコシステム(複数企業が事業や商品開発で協力しあう仕組み)、これを現実の世界でサービスとして実現していく。
業種・業界の枠を超えた異なる立場の参加者が新しいサービスを立ち上げる。
インターネットのような機械環境の中でデジタル化された価値は、絶対的なものになっていくはず。
そして、その価値の移動が簡単に行われる時代になる。
ヒトのノウハウの交換ですら、何等かの共通の価値のあるものを使って実現されると思う。
ヒトのアイデアや仕事は、もっとダイレクトに新しい収入(稼ぐ事)に結び付く。
当事者同士の直接取引の時代を、今とは比較にならないくらいに簡単にしてしまうのが、キャッシュレスであり、そのためのFATF整備になるのだと思う。
数か月前位からだろうか、MMT(現代貨幣理論)という言葉を耳にするが、こういうのが話題になると、もう現代の資本主義は限界にあるのだと再認識してしまう。
この概念は、「貨幣というのは負債の記録」としているが、そういう考えでも良かろう。
ただ、お金という特性のものは単純なデータとか物ではなくて、本質としては信用力が重要である。
きちんとした信用を管理できる環境があってMMTは機能すると思うのだが、その信用がどれほど難しいものであるのかということを理解しているのか疑問である。
MMTでは通貨を発行する国はその国の通貨建て債務がいくら増えてもデフォルトしないと主張しているが、そうなると資産価値として魅力ない。
議論するのは良いが、邪道なものは嫌いである。
エラーというのは大多数の意見が正しいとする民主主義の理論であるなら、大多数の意見が間違えていることもあり得る。
過去において、地動説を多くのヒトが信じていた時代があった。
事実は今の段階で目に見えているものが全てとは限らない。
もっと正しい事実が隠れているのかもしれないわけだ。
少し前まで世界は共通通貨を作ろうとしていた。
しかし、それは米$でも実現できなかった。
それの続きである。
ただ共通通貨ではない。
提供されるのは、共通の巨大な交換インフラである。
それが、次世代の金融ということだ。
そしてビジネス(チャンス)の平等な環境を実現するのだろう。