刺身にソースをかけてしまうのはおかしいのだが、ソースだけが先にくるのが今の環境に多い。

ブロックチェーンというか新型の分散技術まで見ていると、沢山の種類があるのだ。

面白いのはシステムベンダーではなくて、ユーザもまだまだ新しいものが理解できていないことだ。

きちんと刺身に醤油をかけているのもあるのだが、食べているヒトもその差がわからなくて、刺身にソースをかけてあるものでも美味しいと言っているわけである。

専門家からみたら変な話なのだが、仮想通貨という言葉が普及していた時期は西本からみたらそういうレベルの話が多かった。

刺身には醤油、そういう相性の良さを理解して、フィンテックを考えないと駄目だよね。

こういうのも料理のセンスと同じ。

この直近の2~3年位は、お客様からどのようにすれば投資に適合したものを提供できるのだろうか? と相談を受けることがある。

残念ながら回答は簡単ではない。

よく聞くと、金利の話になる。

超低金利の時代に金利を作るのは難しいし、そこを考えても良い答えなど出ない。

そもそも金利とは何なのか、そのあたりも理解していないのに金利の話ばかりしている。

それがわかりやすいのだが、本質的に正しい理解ではない。

だから、本質を変えるところから開始しなければならない。

投資というのは、極論としてより安全なものに資産を交換していくことだと思う。

金利が重要ではない。

株を例に考えてみよう。

相場が上がると予測し株を買うと、現金を株に交換することになる。

相場が下がると予測し株を売ると、株を現金に交換するわけだ。

このあたりだと分かりやすいのだが、現実の資産特性を考えるとそれはもっと複雑である。

資産を安全なものに変えていく行為というのはそれを説明するのは難しい。

金融というものはそもそも交換ではないからだ。

トレードを交換としてそれが金融かという話であったが、それも広義で金融なのだ。

金利は資本主義のコアであり、そして通貨世界の中での話である。

ただ、ここで一言だけ追記しておく。

今回の資産の分散化が実現した次に来るのは、新しい金利の概念である。

金利は復活する。

ただし、資本主義の中での金利ではない。

まず目先のサービスの実現を目指したいし、それが出来ないとこのあたりも実現しない。

リスクとリターンは相反するものであり、リスクが高いとリターンも高いというのが本来はまともな状況である。

ただ、そのバランスを維持するには矛盾があってはいけないという話をしてきた。

矛盾が存在すれば、リスクとリターンの関係は維持できないからだ。

リターンがあるように見えてリスクしかなかったりして、公平ではないことも説明した。

またそういう不公平なものほど、市場で流通し普通に取引されている。

さて、西本の言うリスクとリターンは絶対基準として価値を定義して説明している。

価値というのは、ヒトの感覚によるものである。

そんなものが定義できるのかという話である。

感覚が違うと、リスクとかリターンの見方も変わるのではないのか、実はその通りだ。

自分には価値が無いように見えても、それは相手にとって価値あるものに見えたりする。

もしくは、そのように見せたりする。

ここを理解できると、金融は少し面白くなる。