そもそも西本は貧乏人として産まれてきたので、幼少期から金持ちに強い憧れをもっていた。

成人になってからもマネーの世界を理解しようと色々とトライしてきた。

そして自分なりにシステムを味方にして、有利な立場で金融を自分のものにしたい、そういう価値観が支配するようになった。

だから、小学校の低学年あたりからマネーへの強い関心が出てきて、ずっと金融を意識し、システムを友としてきたわけだ。

成人になって欲が支配していた時期もあったが、欲を出すと悪い結果ばかりだった。

だから今では少し考えが変わっている。

もう50歳を超えてそろそろ結論を出したい。

自分の人生の中で得た金融のあるべき論をそろそろ実現したい。

金融に不公平な概念があってはいけない。

金融が好きでシステムが相棒であるから、これを実現することが自分の役目なのかなぁ・・・とか。

新しい金融サービスを提供するにあたり、デジタル技術は裏方である。

その技術を使うというのは、それを使う事が「目的」ではなく、使うことになったという単なる「結果」でしかないわけで、「目的」は「新金融の実現」にある。

フィンテックというのも世間では多少なり騒がれているが、それをどう使えば良いかという面で理解しているヒトは少ないと思う。

そもそも技術が難しくて、その根本の理解が弱いのもしかたないことである。

それでも金融よりは簡単だと理解されているのだろうか、世間では技術論が先に来てしまう。

その技術を金融の中でどう使うのかを考えてしまい、それがフィンテックみたいになっているので、それだと上手くいかないのだ。

ビットコインみたいなものを仮想通貨と訳してしているわけだから、やはり金融の切り口で理解しようとしているのだろうか?

金融と技術の切り口で、こういう特性を見るなら、やはり暗号資産である。

やはりブロックチェーンから派生したサービスというのは、暗号資産という訳がしっくりくる。

暗号資産、これがデジタルアセットにつながるかという話になる。

暗号をデジタル技術に、資産はアセットそのもの。

こういうものが、なぜブロックチェーンがベースになるのか、それを理解できるかどうかだ。

フィンテック、誰が作った言葉なのか知らないが世の中は注目している。

ただ、フィンテックは対象が広くて色々とある。

先にフィンテックにおいて「木を見て森を見ず」という話をしたが、木(ブロックチェーン)を決めた後に、次のステップがある。

木を素材とするなら、それをどのように使えるようにするのかという話である。

普通でもそれなりに使えるものだが、さらに性能を引き出さないと新金融ではダメなのだ。

これを表現するなら、料理という感じになる。

良い素材(ビジネスモデル)を選んだら、料理(システム化)によりさらに付加価値をつけるわけだ。

レシピを考えたら、それで料理してみて味見をしてまたつくりなおして美味しいものにしていくような、そういうものだ。

付加価値が調味料(ブロックチェーン)だとして、醤油みたいなものもあるし、ソースみたいなものがある。

ソースか醤油か、そういう理解もできないのにそれを何に使うのかを考えることはおかしい。

フィンテックをよくわかっていない業者と話をしていると駄目だなぁと思うことが多い。

それはしかたない。

なぜなら、金融がわからないから。

ただ凄く良いソースがあったなぁ、でも目の前には釣ったばかりの高級魚がある。

つまり、高級魚は刺身にしたくて、そのために醤油を使うのが正しい料理なのだ。