そういう多くのヒト達にとって優秀な金融系のサービスが提供されること、それがフィンテックの本当の意味であると思っている。

海外の資産家だけが優遇される時代ではない、そういうものを考えたいものだ。

リスクリターンというのは絶対的基準の中で成立させなければいけない。

現代においてのリスクリターンは相対的なものである。

その絶対基準で考えないといくらでも誤魔化せるし、それが矛盾に繋がり投資とは名ばかりのものになってしまう。

バブル崩壊後は、金融のリスクが広範囲に存在する状況である。

もう高度成長時代の羨ましい投資の記憶は忘れたほうが良い。

少なくとも100年以内にバブルのような投資サービスが日本で復活するとは思えない。

そもそも投資家と資産家は違うものだろうか。

同じではなくて違うものだ。

投資家は最近の話であり、正しくはバブル期に出てきた概念だと思う。

金融で稼ぐことをメインとしているのが投資家である。

資産家は金融で稼ぐことが目的としていない資産の保有者である。

資産家が投資家になっている場合も多いので、同一とみるのも間違いではない。

西本の経験からだが、資産を蓄積出来ているヒトはビジネスも上手であり、投資も不思議と優秀である。

誰かに教わったわけではなくて、多分だけど金融センスに恵まれたヒト達なのだと思う。

投資というものは、マネーという単位を何か違うものに変えているという意味がある。

そもそも投資・投機は日本語なのに、ヘッジになると英語となる。

日本の金融のベースとなる価格の妥当性の根拠がオーダードリブンであり、そういう方式ではヘッジの概念があまり必要ないのだ。

ただそれは有価証券の世界であり、為替は全く違う国際標準の世界に従っている。

そしてマネー(¥)は為替なのである。

信用しているヒトのいうことをそのまま素直に聞くことが多い。

それが本来の日本金融であり、銀行だと思うし、銀行の役目になるのだと思う。

銀行は営利目的から、再び社会インフラとして考える時期にある。

そもそも橋本内閣の金融ビッグバンというのが、今の金融機関を競争させる切っ掛けになった。

競争とは利益を追求すること=資本主義化である。

社会主義金融が、完全に資本主義に入り込む切っ掛けであった。

ただ、その当時を見ると、西本はしかたなかったと思う。

バブルが崩壊していて(正しくは崩壊させられて)、外国金融の力(金融の神が健在だった)を見せつけられ、反省した結果の選択と対応だった。

20年前に自社を立ち上げた時、「インタートレード」と名付けた。

広域で不特定多数に対して金融を提供したい、トレードしたい・・・、そういう思いで名付けた。

だけど、この場合の「トレード」とは、本当は何を意味しているのか?

トレードを日本語に訳すと、正しくは「交換」になる。

金融とは「交換」なのか?

今までの西本の説明からすると違う。

これについて今は話題にしないが、この先に重要なキーワードになる。

この話をしても西本の理想論だからとか、実現しないと絵に描いた餅だと言われ、バカにされるので理想論を言うつもりはない。

実際に20年間実現出来なかったわけだし、目標が高かったのも事実だ。

インターネットだと実現できると思っていたが、その難しさを理解した20年間でもあった。

ただ、今のデジタル技術だと実現出来ると考えている。

社名の実現、それは信念みたいなものがある。

忘れないために、社名にしている、そういう事もある。