有事の時に相対的に¥が買われるだけであり、絶対的にみるとそういう場合でも通貨全体の価値は下がっていることもある。

つまり相対的に¥が上がっているように見えても、経済の中での絶対基準からみると、実は価値が下がっていたというのであれば、それは残念な話である。

すでにリーマンショック時の各国の中央銀行の対応を見て、そういう金融リスクを多くの国民が認識できているかどうか、そのあたりは日本って実は弱い気がしている。

リーマンショックの時に、先進各国の中央銀行は協力して何をしたのか、そのことを理解すれば金融のリスクのことが少しは見えるはず。

銀行が対応しているから金融にしているが、これは金融の話ではなくて、実は資本主義の話であることも誤魔化されているのだ。

資本主義を否定してしまうと、大金持ちが困るという事実があるからだろうか。

世界的なハイパーインフレが出てきたら、¥が他通貨に対して強くても絶対的資産価値として影響を受けてしまうと思う。

日本は消費増税をしたので、この先も全般的にデフレ傾向と言われても、それは増税要因の話だけをしているわけで、デフレとかインフレの要因など山ほどある。

過去においても価値の中心となるものは時代とともに変わってきた。

日本は江戸時代では年貢=コメがわかりやすいが、今の時代はコメで支払うことはしない。

コメは多少の保存ができるものの、やはり流通を考えると弱いという面で、資産特性では少し劣る。

世界的には、金本位制が金$本位制になり、$本位制の資本主義に発展してきたが、この$本位制というのが通貨制度そのものである。

この$は米$を意味しているのだが、米$が世界の決済の半分を占めていることが重要である。

決済できること、それは価値が世界で認められていることを意味していて資本主義の中では絶対的なものなのだ。

米$とは凄いものだが、それが世界を支配していることに対して面白くないと思っている国家も存在している。

米$よりも優秀なものを作ろうとしてきたわけではないが、その欠点を補おうとした一つがビットコインであったと思う。

ただ、残念だが色々と問題が出て今では力不足であったと思う。

ブロックチェーンの問題もあったが、ビットコイン自体の特性として、金融界が受け入れることが出来ない内容であったこともある。

しかしそれに使われたブロックチェーンの技術や概念は、金融の将来に対して非常に魅力ある考え方であると金融界は認めている。

価値には色んな種類がある。

その中には付加価値みたいな概念がある。

例えば、利便性とか。

そしてこの先で説明すると思うが、なぜブロックチェーンが金融に関して騒がれるのかという話である。

なぜ、通常の電子マネーではダメなのか、それを説明できるかということだ。

通貨特性というのは、資産を保存するだけでなく、流通という概念でも優れている必要があるわけだ。

この資産性と流通の2つの特性について、米$よりも優秀なものが出てくるのであれば、それが主流になってもおかしくない。

価値とは、それを使うヒト達が共通で認めるものである。

そういうものは、分かりやすいものほど優秀である。

違和感のないものほど、優れた価値をもっているものだ。

「直感」とか「違和感」というのは、それなりの根拠がどこかにある。

例えば、相場の動きに何等かの異変があるとか、流動性(例えば、注文板の厚み)に変化が出てきたとか・・・。

価値に変化がないと安心し、変化が出てくると変な予感が出てくる。

変な予感とは資産を失う恐怖みたいなものである。

西本が金融に対して違和感的なものをリーマンショックの後も持っている話をしてきた。

マネー自体の非常に大きな欠点を見てしまったからだ。

そして、中央銀行は信用を失うことを覚悟してとんでもない対応をしたわけだ。

金融を扱うものが「覚悟」なんてナンセンスの話をしたのだが、当時の中央銀行らが行ったことは「覚悟」前提の対応だったと思う。

結果的に何とかなったのだが・・・、それは結果論でしかない。

金融に対して、何かを改善しないといけないという危機意識がその頃から顕著に存在している。

通貨が悪いと言ってない。

便利で良いものであることは事実だ。