最近の日本の相場を話題にするとき、金融工学的な話を真剣に聞いているヒトがいるだろうか。
今の金融は昔の金融とは違っていて、少し前の金融知識では役に立たなくなっている。
多分アナリストよりも相場で勝っているヒトの意見を聞きたい、そういう事だと思うのだが、それはすでに心理分析の世界のほうが価値的に強くなっていることを意味している。
そしてそれは理屈として正しい。
そもそも金融を仕切ってきた中央銀行の仕事というのは、金融工学より成り立っているものである。
中央銀行に限界が見えてきた中で、金融工学が完全なものではないし、それを見直しても良いはずである。
とりあえず、資本主義は無くならないし投機の世界も無くならない。
ただ、投資の概念(というか、資産の考え方)は変わる。
リーマンショックのことを覚えているだろうか。
過去にも恐慌などそういうものが歴史で繰り返してくるのだが、なぜ繰り返すのだろうと考えたことはあるのだろうか。
こういうのは、大地震とか、大型台風だとか、そういう災害とは違うことを理解すべきなのに、同じように金融リスクが災害として理解させられている。
破壊などのリスクという概念では同じかもしれないが、金融リスクは人災である。
災害における政府の予算があるが、災害というより予期せぬリスクに対応したものだろう。
だから金融パニックになった時にそういう国家予算が使われると、資産家でない多くのヒト達がなぜ金持ちを救済するのだと騒ぐわけだ。
資産家からすると、自分達の努力で日本は裕福になったことを理解しているのかとなる。
リーマンというのは企業名である。
リーマンショックはヒト(というか、金融)が作った破壊である。
次に起こるとどうなるのだろうか?
政府が何かしてくれるではなく、自分達がきちんと予防できているかという話である。
そしてリーマンショックのような金融パニックは巨大化した資本主義の限界が要因である。
だからどのように予防すれば良いか、そろそろ理解していただいたと思うのだが、どうでしょう?
資産は現金で、それを銀行に預けている、それが対策で大丈夫かという話である。
そこを理解できないと、金融リスクというか、日本人にリスクの話は向かないと思ってしまう。
そしてそういうパニックにならないように最大限の調整をしているわけであり、それを信じるのも悪い話ではない。
病気と同じで、発病したかしないか、それだけである。
銀行がリスクの無いものだと理解していたのはバブルの頃(大蔵省時代の護送船団方式)までの話である。
今ではペイオフである程度までは保障されているが、その保障は円の絶対数量に対してである。
円の相対的価値に対して保障されていないし、すでに日銀法まで変えられていることを多くの人ヒト達は知らない。
銀行に現金(円)を預ける、そういうのはお金持ちという表現であり、海外でいうところの資産家の意味とは異なる。
そこに疑問を持たないで、資産を守ると言っているなら、資産は守りきれない。
大きな内在している金融リスクを回避していないからである。
資産を守るというのであれば、資産家の価値観を意識するべきである。
大富豪達が普通のお金持ちと違い資産を守り続けているのは、このあたりのことを理解しているからだと思う。
この差を理解できれば、資産を守るヒントがわかるはず。
なぜ、こんなことをずっと言っているかというと、新しい金融の概念は資産の考え方というか、その表現方法、そして管理方法が変わるからである。
この事は、ブロックチェーンを議論するよりも重要である。
ブロックチェーンはその切っ掛けを作ったかもしれないが、重要なのはそれで何が変わるのかということの理解である。
ブロックチェーンが主になると、木ばかり見て森が見えない、そういう事になってしまうので、それだとダメだ。
そうではなく、森が見えているのか、森が変わるのを理解しているのか、その中で木を見られるのか、そこがポイントだと思う。