西本は変な話をしていると思われているだろうが、この先の話で、しっかりと金融リスクの対応に繋がる。

金融の神は力が弱まっていると言った。

金融の神は自らを機械化すれば強さを維持できるのに、それを放棄した。

この分野で機械化を選んだのは、実は悪魔の方だが・・・。

神が善なら、悪魔は悪とされる。

しかし、善なる資本主義があるのだろうか?

資本主義は欲で成り立っているのが、今の世界であることは皆さんも内心理解しているはず。

そして、今までの話の中で、資本主義は不公平で矛盾が基本だと説明してきた。

そんな資本主義が善であるわけがない。

それが善というなら、福沢諭吉先生は怒るだろうし、お札のデザインにもなっていないはずだ。

彼をお札の象徴にしたのなら、そういう公平である意思を金融は証明すべきである。

ヒトの洗脳に諭吉先生を使ったなら、それは大罪だと思う。

神話とは難しいもので、そこで出てくる悪魔はサタン、デヴィル、デーモンらしい。

その中でも魔王となるサタンはもともと天使で、神の使いだったという。

天使サタンが魔王になったということらしい。

そもそも、人々を誘惑する存在自体がデーモンとかデヴィルという設定みたいだ。

神の善とは何かを理解するために、悪が必要であるというところだ。

そして、そもそも悪魔の元は全て天使だったという。

神は自分の形に似せて作ったのがヒトという。

実はこういう話は、今の金融と非常に似ている。

だから、西本が話題にしている。

ただ、この神話では、この先の話が無いのである。

西本はこの先の話をしないといけない。

昔から存在している金融の悪魔と、ヒトのつくった新しい機械、このあたりが新金融につながる。

さて、どういう事だろうか。

金融の悪魔側は資本主義を引き継ぐ。

機械は何をするのだ?

そろそろ金融の本題に近くなっている。

金融は悪いものではないが、資本主義に支配された話をした。

そして、元の金融に戻したいと。

資本主義が限界にあるなら、資本主義にこだわる必要がない。

この事を、このブログを読んでいるヒトに理解をしていただきたい。

それが資産を守ることに繋がるからだ。

金融を資本主義から切り離せばよいのだが、実際は完全に切り離せないので、支配から解放すれば良いとした。

そして、資本主義と共存することになるのだが、そのコアはコンソーシアムみたいな、ヒトの価値観がベースとなる経済圏が出てくる話をした。

さて、これが何かであるが、実は究極の社会主義である。

つまり、機械が実現する未来の新金融の機能は、社会主義的なものである。

公平に提供される金融の基本的な特性を機械化が実現するわけである。

こういう既存の資本主義と新しい社会主義が融合した世界が、次の金融のステージなんだろうと思うし、失われた金融の力はこれにより復活できると信じているし、そのようにしたい。

そうしないと、金融パニックの恐怖から逃れられないと思っているからだ。

そして、新しい金融をつくっているヒト達の中には、同じことを考えているヒトが多いと信じている。

少なくとも、自分達の事業を立ち上げるパートナーの責任者は、同じ方向を目指していると思っている。