テロを起こす人を出さない為に | kumorockのブログ

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私は。

テロを起こす人も作りたくなくて、『物事を色んな方面から冷静に見て欲しい」と、

繰り返し書いています。

 

 

 

急いで書くので、色々な事例を書けなくて申し訳ないのですが‥。

 

 

 

大変申し訳ないのですが。

誰かをテロリストだと言った後に、論理的にその後に続く言葉がない方しか知らないです。

要は、先入観のみで言われている事が、ハッキリ分かってしまいます。

 

 

それは、「なぜ、人はテロ起こすのか?」を考えて調べていないからです。

 

いつも思うのですが。

交通事故は、原因や事故に繋がった経緯を調べる事を抵抗なく行えるのに。

ちょっと変わった事に関しては。

「なぜ、そういった事になってしまった経緯を自然に調べる事を考えられないのか?」と、不思議に思ってしまいます。

 

 

一つの例として。

昔、「学生運動」が盛んだったことから。

あさま山荘事件などの大きな事件が起こった事を、詳しく調べてみると。

基本的に、これらの事件の犯人達は、学歴も一般的にみれば非常に良い方ばかりです。

 

では、なぜこんなのにも頭の良い方達が。

こんな事件を起こしてしまったのかを考えると、

 

1960年代位から徐々に、学歴社会になって行くにつれて。

良い学校に入学する為に、当然に勉強に力を入れる事が多くなって来たと考えられます。

 

しかし、当時の学校では。

今よりももっと、型に当てはめた内容の教育を行っていたのではないかと思います。

 

私の親世代の人は、口を揃えて学校で歌謡曲を歌ったら叩かれて怒られた・ギターを弾いたら不良扱いされたなど、

何人もの人から幼い頃から聞いて来ました。

私の親も「学校で、「翼をください」を歌っているのにびっくりした。 時代が変わったんやな。」と、一瞬固まっていた位なので。

この言葉からでも当時、どれだけ型にはめる教育をされていた事が、わかるような言葉でした。

 

ということは、

自由に自分で物事を考え行動する事が今以上に出来なかったのでは、ないでしょうか?

 

だから、一つの考え方に対して色んな方面から考えて行動するといったよりも。

素直に、一つの考え方のみを信じて行動してしまった結果。

 

 

大きな事件までに発展してしまったのではないでしょうか?

 

 

これは、オウム真理教事件でも実行犯となった人を調べていても何人か、そういった人がいます。

 

余談として。

海外のテロの犯人は、偏った考え方を持った人が多かったです。

 

 

結論として、今までの学校教育に問題があるから。

テロを起こす人が、一定数数どうしても出てしまうと言う結論に行き着いてしまいます。

 

それは、現代でも繋がっていいて。

 

だから、現在の報道でも多角的に物事を見られずに偏った報道をされているのは、この為なのではと思うと。

納得が行く点が多いのです。

 

 

色んな視点から物事を冷静に考えられると言うことは、例え間違った方向に考えて行動していたとしても。

大きな問題になる前に、修正がしやすいと思うからです。

 

 

 

 

そこまでが理解できると、「次に何をすれば良いのか?」を考えて行動しやすいのではないでしょうか?