岡城址は、1185年築城とされ、
その後多くの変遷を経て、
近世の城郭として整えられてきました。
明治になって城主は東京に移住し、
岡城は大分県によって入札・払い下げが行われ、
すべてが取り壊されたという。
瀧廉太郎は、少年時代竹田市に住み、
この岡城址に一人佇んでいたそうだ。
荒城の月のモデルになったと云われる
所以でしょう。
城構入り口に来ました。
この辺りは、家老や城代の屋敷があったところか。
本丸跡に向かいます。
本丸跡に着きました。
戻って、賄い方跡の方へ向かいました。
紅葉がきれいでした。
賄い方跡

しかし、荒城の月の作詞者 土井晩翠も、
青葉城址、鶴が城址などを巡っていて、
瀧廉太郎も少年時代、竹田市の他に
富山市(富山城址)にもいたので
荒城の月のモデルが岡城址だけに限定するのは
無理があるのかもしれません。
富山城址もぜひ見にいきたい。