君にしかわからない歌
柴田淳のアルバム【ゴーストライター】。
その中でいちばん好きな曲。
ただ、歌詞解釈が難しかったのだ。
はじめは、しばじゅんが聞き手に対して
「ありがとう」って言ってるように聞こえた。
柴田淳は、自分が作った歌を聞き手に託すという話を
以前聞いたことがある。
いかにもしばじゅんらしい
メッセージ性のある曲なのかな、と思っていた。
というか、それは今でも思っているのだが・・・・。
しかし、何度も聞いているうちに思ったのだ。
「もしかしたら、これも死別の曲ではないのか」と。
このブログで以前書いたが、
最近の柴田淳の曲には死別の曲と思えるものが必ず入っている。
理由はよくわからないのだが・・・。
【ゴーストライター】には、シングルである【Love Letter】が収録されている。
しかも、なぜかシングルとは別テイクのものだ。
【Love Letter】が入っていることで
『最近のアルバムに死別曲が必ず入ってる』の法則は今回も継続しているのだが・・・。
なぜ【君にしかわからない歌】が死別曲か
そう思える理由は歌詞を見てもらえればわかる。
たとえば、別れた恋人なら、確かに会うこともないかもしれないが
二度と会えないと断言はできない。
なにかしらの理由で会わなければならないことだってあるし
偶然出会うこともある。
しかし、死んでしまったら、文字通り【二度と会えない】のだ。
たとえどんなに望んだとしても・・・。
それでも、「君」はたしかに生きているように受け取れる部分もある。
たとえば出だしなんかもそうだし、2番にもそんなところがある。
これはどういうことなのか・・・・?
それはおそらく【心の目】なのだろう。
実際に姿は見えなくても、生きているものがその人を忘れなければ
その人を感じることができる。
きっとそういうことなのだろう。
この曲は、死別して打ちひしがれている、悲しい曲ではないのだ。
きっと、悲しみを受け入れて、そして前に進もうという曲なのだ。
大切な人を失った悲しみは、きっと生涯忘れることはできないだろう。
それでも、生きている者には明日がくるのだ。
悲しみに打ちひしがれ、現実を受け入れたくない人にとっては
明日が来ることは、とてつもなく苦しいことなんだと思う。
それでも、明日はやってくるのだ。
それでも、
失った大切な物の代わりに
きっと、別の大切なものを見つける。
それができた人には、きっとこの曲の意味が判るんじゃないだろうか。
俺はそう思っている。
「本音」 か 「強がり」 か
現在は活動休止をしていますが・・・
僕はキンモクセイのサウンドが好きだったりします。
なんというか、ちょっとした懐かしさを感じるんですね。
特にライブに行ったりとかしていたわけでもなく
正直、アルバムも買ったことはありません。
キンモクセイのファンかといえば、そういうわけじゃないんですが
それでもシングルで「いいなぁ」と思う曲は多かったので
もう少し聴きこんでいたら、間違いなくファンになっていたでしょう。
今日紹介するのは
そんなキンモクセイの、2002年に発売されたシングル。
車線変更25時
これまた懐かしいサウンドを聴かせてくれます。
80年代のディスコサウンドをモチーフとしているらしいですね。
まさに「昭和テイスト」ってやつでしょうか。
実は発売当時、僕は携帯の着信音をこの曲の着メロに設定していました。
その当時はまだ「着うた」は普及してなかったんですねー。
PVにも昭和テイストあふれるディスコダンスを取り入れてありまして。
ごく一部の間では「ダサかっこいいPV」という認識で有名らしいです。
まあ、このPV、僕には設定がよくわかんないんですけどねー(笑)
曲の情景は、歌詞を聞けば誰でも思い浮かべれると思います。
失恋した男の感情を時間で表しているわけですね。
1番 = 22時 (別れる前) 思い出
2番 = 24時 (別れる瞬間) 後悔
3番 = 25時 (別れた後) 未来
戻れない時間、悔やんでも悔やみきれない感情。
それでも先に進まなければいけないという思い・・・。
ただ、正直思うのは・・・。
人間、そんな短時間で切り替えられるものなのか・・・?
これは人によって違ってくると思います。
つまり、3番の「未来」の受け取り方は、感情で違ってくる ってことです。
ちなみに、僕は恥ずかしながら失恋を引き摺る性格でして・・・。
この3番の「未来」が、完全に心を切り替えられて先に進もうというものならば
すごくこの主人公はカッコよく思えます。
しかし、この主人公を自分に置き換えてみた場合・・・。
忘れたくない、けれど前に進まなければいけない
そうやってもがいているように感じるんですね。
つまり、3番の未来は「強がり」である、と・・・。
そうだった場合は、すごくかっこ悪いですよねぇ・・・。
さて、あなたはどちらのタイプですか・・・?
癒される声
さて、すっかり「しばじゅん特化ブログ」となっとりますが・・・。
久しぶりに違う人のこと書きますかね♪
この曲との出会いは、レンタルショップの中古売り場でした。
50円の投売りセール棚。
そういうのを意味もなく覗くのが好きなんです。
で、なんとなく欲しいものを数枚買う。
安いから外れても損には思わないしね。
そんな中に、「当たり」もあるわけで・・・。
その曲とは・・・
松たか子 「ほんとの気持ち」。
元々、女優 松たか子が大好きなんですよね、僕。
「ロンバケ」見て、一発で気に入りましたから(笑)
とはいえ、女優は女優。
彼女が歌手としてデビューすることになったときに、期待とかはしてなかった。
ところが・・・。
「明日、春がきたら」という曲を聴いて、実に気に入ってしまったんです。
曲のテンポが自分好みだったということもあるけど、なによりも・・・
彼女の歌声に癒されたんですよね。
少なくとも、自分には思い切りストライクだったわけで・・・。
とはいえ、今の柴田淳みたいにそこまでのめりこんで聴いてはいなくて。
「桜の雨、いつか・・・」という曲もすごく好きだったけど
それ以降はしばらく彼女の歌は聴いてなくて。
そんなときに見つけた彼女のCD。
どんな曲だろうと思ったら、ツボにハマッてしまったと・・・。
ほんとの気持ち
このPVもとても好きです。
見ればわかると思いますが・・・
まさに「シンプル イズ ベスト」。
表情で伝える技は、さすがに女優さんですね。
「夢」の続きと思える曲
前回の記事に書いたとおり
今回は柴田淳の「夢」という楽曲の「続きであるであろう曲」について。
※ 「夢」 は前回記事にYouTube動画貼ってますので、まず聴いてみてください。
「夢」という曲の情景・・・。
それはおそらく、してはいけない恋をしてしまった いうこと・・・。
してはいけないとわかっていながら、抑えられない気持ち、そして葛藤・・・・。
そう、この曲は不倫の曲です。
この時点で、「続き」がどの曲かわかっている人も、おそらくは多いことでしょう。
その答えは、このブログの第1回目に紹介した曲です。
「 おかえりなさい 」
・・・多分、同じように思っていた人はたくさんいると思います。
今まで気付かなかった自分に歌詞の解読能力がないだけなのかも・・・。
さて、「夢」と「おかえりなさい」の比較。
どうして「おかえりなさい」が「夢」の続きとなるのか・・・?
それは・・・
「夢」は、いけないと思いながらも抑えられない気持ち
・・・であるのに対して・・・
「おかえりなさい」は、失いたくないと思いながらも、いつか失う日がくるとわかっている
もう少しわかりやすく言えば・・・
「夢」の歌詞に後悔は感じないが、「おかえりなさい」の歌詞は後悔だらけ
ということかな。
「夢」の歌詞にも後悔みたいなところはあるけど
でもそれは進むのをやめたいということであって
心のブレーキではあるだろうけれども、後悔ではないよね。
つまり、「適わないことが苦しい」曲。
対して「おかえりなさい」のほうでは
特に2番の歌詞では、後悔とわかるような文字が並んでる。
「わたしはなにをやっているんだろう・・・」
どこかで終わりがきてほしいと思っているような・・・。
そうすれば楽になれると。
それでも失いたくない・・・。
これは「夢」とは全く逆の葛藤じゃないだろうか。
もちろん、それは「望んだことが現実になったから」できる葛藤だと思う。
つまり、「適ってしまったことが苦しい」曲。
・・・と、僕はそう思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか・・・?
「夢」の続き・・・?
柴田淳の曲に「夢」という曲がある。
ため息とタイトルのつく、2枚のCDに収録(シングルのC/Wとアルバム)されている。
しばじゅんファンの中でも結構な人気の曲だ。
(別の意味で有名だったりするが、それに関しては興味ないので無視で)
僕も「ため息」のアルバム中でいちばん好きな曲で、今まで何度となく聴いてきた。
昨日も聴いていたのだが・・・。
突然、ある疑問が浮かんできた。
この曲の情景はどんなだろう・・・。
・・・いや。
正確には、情景は頭に浮かんでいた。
そして思ったのだ。
この曲の続きとも言える曲がある・・・。
今までそんなこと思いもしていなかったのに・・・。
「続きと思われる曲」も、僕が好きで、何度となく聴いている曲だ。
僕の中でとても大きな意味合いを占める1曲・・・。
その曲とはなにか・・・?
それはまた明日に書きます。
もしよかったら、皆さんも考えてみてください。
柴田淳 夢
この動画に使っている写真も、そのイメージを重視して選択しました。
まあ、10万回以上再生されているものがYouTubeにありますけど・・・
しばじゅんの曲なのに、別人の曲みたいな扱いされてるので、新たに作った次第。
美しさは、ときに邪魔である。
曲を好きになるときに、なにがきっかけになるか・・・?
それはもちろん人それぞれではあるけれど。
「歌っている人の外見」という人はいないだろうか。
もちろん、きっかけであればそれでもいい。
しかし、そのきっかけを曲に直接結び付けてしまう人が多く感じる。
まあ、日常でもよくある話で。
外見の良さで、その人のすべてが良くみえてしまうわけで。
しかし、思うわけだ。
「結局のところ、その曲の良さなんて本当は分かってないでしょ?」って。
アイドルならば別にそれでもかまわない。
所詮、アイドルにとって歌は「ついで」に過ぎないのだから。
もちろん、アイドルの歌にもいいものはあるが
本当の良さは「外見」というフィルターを取り除いてこそわかるのではなかろうか。
アイドルだろうとアーティストだろうと、曲は曲、歌は歌。
誰が歌っているかは実は問題じゃなかったりする。
はやい話、曲に外見は関係ないということだ。
ところが、最近はアーティストもアイドルも、すべてごっちゃになってる気がする。
歌がうまい、曲が作れる、そして美形・・・。
ぶっちゃけ、いちばん取っ付きやすいのは外見だったりするわけだ。
特に日本ではなんでもかんでも「イケメン、イケメン」と騒がれるわけで
なんにせよ外見がまず求められるから、ある意味それも仕方ないのかもしれないが。
それでも「アイドル」と「アーティストの住み分けはするべきと思う僕としては
正直、今の状態はウンザリする部分がある。
「かわいい」「美人」「イケメン」・・・。
アーティストにとってそんな言葉は必要なんだろうか。
別にそれを否定するつもりはない。
イケメンはイケメンだろうし、美人は美人だ。
でも、そんなのは「ついで」でしょう・・・?
そんなものに踊らされてそのアーティストを好きになったところで
所詮、長続きはしないんじゃないの・・・?
なんでこんなことを書くかといえば
柴田淳をそう評価する人が多いから。
美人なのはわかってます。
だからどーだっての。
YouTubeやニコ動で、アルバムの曲をあげている人がいるけれど
中にはしばじゅんの写真をスライドショーにしてる人とかいて。
そういうの見ると腹が立ってくるのね。
(ジャケット写真を静止画で使ってるのは除く)
一体あなたは曲のよさを伝えたいのか、外見を伝えたいのか
・・・まあ、それはコメントにするべき言葉じゃないよね。
僕とは物の見方が違うというだけで、コメントで非難すべきことじゃない。
とはいえ、ここは自分のブログなので本音を書いた次第。
柴田淳 【君へ】
2009年最後の記事は・・・
やっぱり柴田淳だったりします。
しかも、1度紹介した曲だったり。(まだ数回しか書いてないのに)
はっきりいって、今回は・・・動画宣伝です。
【君へ】という曲を以前、【死別三部作】の記事で紹介しました。
実はあの動画、僕がYouTubeに投稿したものでした。
あれは音質改善版(HQ推奨版)として投稿したもの。
いちばん最初に投稿した通常音質版(今となっては低音質版)も僕が投稿していたものです。
通常音質版は50000回以上も再生していただいていました。
ですが今回、作り直しをしまして、今までのものは削除させていただきました。
さすがに3つも同じものがあるのも芸がないですしね・・・。
あと、こちらに集約したかったというのもあります。
柴田淳の曲というのはその歌詞にとても力があると思っています。
心に響く作品が多いんですよね。
その中でもこの【君へ】という曲はファンの中でも特に認知されている曲だと感じています。
実はよく柴田淳でブログ検索をかけて閲覧させてもらっているのですが
この曲を紹介している方も結構いらっしゃって。
もちろん僕自身もこの曲は好きですし、思い入れのある曲でもあります。
そういう諸々の理由で作り直しをしたわけです。
こちらが新しく作って投稿した【君へ】のYouTube動画になります。
今までのは最初から最後まで1枚の写真でしたが
今回はスライドショー形式にしました。
そして歌詞を埋め込みました。これをしないと作り直した意味がありませんからね。
歌詞付のものを投稿する理由としては
しばじゅんファンのため、というのあるんですが
しばじゅんに興味ない人がこれを見て、しばじゅんの歌詞の魅力を少しでもわかってほしい
そういう気持ちのほうが強いです。
ビジネス的にしばじゅんが売れることは望みませんが
純粋にひとつの作品としてしばじゅんの歌を聴く人が増えたらいいな、って。
そう思ってます。
いちばん最低だったライブ。
最高の反対は最低・・・。
今回は、自分が見た中でいちばん最低だったライブの話・・・・。
名前はとりあえず伏せておく。
しかし、文章を読めば誰のことだかわかる人もいるかもしれない。
時は2007年の3月終わり。
場所は大阪。
その人のライブツアーに行くのは初めてだった。
というのも、そもそも、その人がライブツアーをするのはそのときがはじめて。
とても楽しみにしていた。
当初、大阪に行く予定はなかった。
シングルCDの先行予約で取れたのは仙台だった。
しかし、どうしても仕事が休めなくなりその公演に行くのはあきらめた。
でも、どうしてもその人の歌を聴きたくて、大阪のチケットをやっとの思いで譲ってもらうことができた。
会社も忙しい中、仙台の日の変わりにと、休みを無理にとらせてもらった。
ところが・・・。
楽しみにしていたライブだったが、その内容は酷いものだった。
伝わってくるものはなにもなかった。
歌い出しに音程を外し、同じ曲で何度も歌い直した。
でも、それはまだいい。
歌っている最中に歌詞を間違えた。
でもそれはライブでしか体験できない貴重な経験だ。
そのこと自体は別になんとも思わない。
完璧に歌い上げることがライブではないと思っているから。
しかし、その人はそこで照れくさそうにこう言ったのだ。
「あ、間違えた!!」と、歌っている最中に・・・。
いちばん駄目だと思ったのは・・・。
MCでその人はやたらと喋った。
MCで毎回長く話すので、その結果どんどん時間はおしていく。
アンコール前だったか、アンコールのときだったか。
時間がおしているのはその人もわかっていたみたいだ。
それでも「まだ喋ってもいい・・・?」そう聞いて喋り続けた。
何組かのお客さんが席を立って出て行った。
おそらく、遠方から来た客なんだろう。
その日は平日だった。
次の日、仕事があるであろう人で公共機関を利用して来た人にとっては
それ以上そこにいることができなかったのだろう。
そんなお客さんにその人はステージから「もう帰っちゃうの?」と言った。
まるで悪びれもしないで・・・。
きっと途中で帰らなければならなかった人だって
その人の歌を最後まで聴きたかったに違いない。
それができなくなったのは誰のせい・・・?
きっとその人は、素の自分のままステージに立っていたんだろう。
あれは公演ではなく、公開リハーサルだと思った。
こんな程度の低いライブなんてはじめてだった。
その人の音楽はノらせるのではなく、聴かせるものがほとんどだ。
それでこの内容では、なにかを感じようにも感じられなかった。
・・・プロじゃない、ただ歌っているだけだと思った。
僕が見たかったのは、表現者としてのその人だったから・・・。
数日後、自分が思ったことを書いた。
あるサイトの、ある場所に。
誰にでも見れる場所だった。
書いたことに後悔はない。
だが、書く時期は間違えたかもしれない・・・・。
その人が僕の書いたものを見たのかはわからない。
けれど、その可能性はあったから・・・。
それ以来、その人のライブには行っていない。
いきたいとは思う。
だが、あのときのことが怖くでいけないのだ。
その人はいま、どんなライブをしているのだろう。
少なくとも、あのときのことみたいなことにはなっていないとは思う。
その人が表現者としてステージに立つことを選んでくれているなら嬉しい。
その人の書いている日記、前のツアーのときには、そう思える文章があったから。
いつか行きたいと思う。
表現者としてのその人を感じるために・・・。
いちばん楽しかったライブ
今回は曲ではなく、ライブの話。
今まで行ったライブのなかで・・・
・・・といっても、ほとんど特定の人のしか行かないのですが。
その中でもいちばん楽しかったなー、と思うライブ。
それは・・・
T.M.Revolutionのライブ。
・・・といっても、普通のライブとはちょっと違います。
T.Mさんのライブには、おそらくいちばん行ってます。
好きだった頃は1ツアーに8本とか行ったこともありましたし
トータル20本は行ってると思いますが・・・。
その中でも最高に楽しかったのは・・・
男性限定のライブ、(通称 野郎ライブ)
あれは本当に楽しかった!!
T.Mさんのライブは、まあ当然ですが女性の割合が高いわけです。
もっとも、T.Mさんはラジオの影響か、男性ファンもそれなりにいたわけですが
それでもやはり女性の割合が圧倒的です。
T.Mさんのライブに行き始めた当初はなにも考えずに楽しんでいたのですが
ある時期を過ぎてから、いろいろと疑問を抱くようになったんですよね。
当時はPV衣装をコスプレしたり、独特なフリを真似るのが一種のステータスだったんですが
なにかそういった「お決まり」な感じや衣装を真似るという行為に対して
なんか女性のファンは結局、この人の歌なんかどうでもいいのかな、と思えてしまって。
カッコよければすべてよし、みたいな、そういう感じが嫌だったんですよね。
「西川はアイドルじゃないのに・・・」って思ってて。
実際、彼のライブは物凄く熱いんですよ? 意外かもしれないけど。
・・・まあ、異性だから求めるものが違うファンが多いのは仕方ないのかもしれないけど
それでもそういうノリは好きじゃなかった。
あと、サビの部分の「遮断機」ってやつもね。
なんか暗黙の了解っていうか、そうしなきゃいけないみたいな空気・・・?
・・・すごく疑問だった。
そんなとき、ずっと前からラジオでやりたいと言っていた野郎ライブが実現することになり。
その初年度の名古屋公演に参加したわけなんだが・・・。
まわりは暑苦しい男だらけ。
だが、それがいい!!
いつものお決まりなノリ方じゃなく、個人個人でそれぞれに楽しんでる。
なにこれ、最高じゃん!!
ライブハウスだから当然オールスタンディング。
始まるやいなや、モッシュやらダイブやら・・・。
まわりに押されまくりもみくちゃにされ
頭の上を人が転がっていく・・・。
確かに、T.Mさんがライブハウスでやるときはこの光景も当たり前ではあるが・・・
なにより激しさが違う、熱さも桁違い。
だが、それがいい!!
なにより、会場が完全に一体化していた。
湧き上がるコールにほぼすべての人が反応し声を出す。
フリをあわせたりする「形だけの一体感」ではない、本物の一体感・・・。
今でもあのときの事は忘れない。
終わった後も一体感は続き、誰かが叫べばみんなが応える。
あそこにいた人達は「戦友」として繋がっていたのだ・・・!!
あの時のことは決して忘れることはないだろう・・・。
「Love Letter」の歌詞から思い浮かべる情景
前記事の続き。
柴田淳のいちばん新しいシングル曲
「Love Letter」
この曲もまた、「死別の曲」なんだろうと。
そう思う理由を、この曲の歌詞と照らし合わせて説明したいと思います。
この曲の主人公が「死んでいる」というのは、実は出だし部分の歌詞で想像できます。
確かめるように 私の名を呼ぶ
あなたの声はまだ 聞こえている。
朝日浴びたら 灰になる私は
動く煙草の火に 小さく返事をした
太字は、「Love Letter」の出だし歌詞そのものですが
ここの部分だけで、この曲の僕のイメージ、すなわち「死別曲」というのが
確立されてしまったんですね。
この曲の舞台は、火葬される前日の夜中なのでしょう。
亡骸の傍らには恋人・・・ではなく、夫(と僕はみました)
永遠の別れまでの最後の、静かな夜。
今までの思い出に更け、そして募る悲しみ、淋しさ・・・。
そんな夫の姿に語りかける、婦人の魂・・・。
ただ、サビの部分の歌詞は・・・。
いつかあなたが死んでいっても 私なら大丈夫
ずっと前からひとりだった あなたを愛した時から
たとえ私が先に逝っても あなたなら何も変わらない
振り返らずに生きてゆけるわ
これは1番のサビ部分の歌詞ですが
2番でも同じように「いつかあなたが・・・」「たとえ私が・・・」という歌詞です。
これだと生きているのか死んでいるのかわからないでしょう・・・?
どちらかといえば、プロポーズなんかでの掛け合いに似てる感じで
死別とはどことなく反対のイメージ、持ちませんか・・・?
いちばん難解なのは「たとえ私が先に逝っても」の「たとえ」という言葉。
基本、「たとえ」という言葉は仮定であることが前提で使われるはず。
ということは、この曲が「死別曲」であるというのは間違いか・・・?
僕が出した答えは、「やっぱりこの曲は死別曲である」ということでした。
「たとえ」という言葉は、確かに仮定を前提に使用されます、が・・・。
実際におこった事柄に対して使っても別に間違いじゃないんですよ。
この「たとえ」という言葉・・・。置き換えるとこういうことになると考えました。
「そうだとしても」
この言葉は、実際に起こった事柄も含まれると思うのです。
ただし「もしそうだとしても」では仮定を指してしまいます。
「もし」がついているのといないのとでは、実は大きく意味が異なるんだと思いますよ。
で、一番のサビの部分を僕なりに解釈してみると・・・・こうなります。
あなたは、はやく前に進んで。
私のことなんか早く忘れて、もっと素敵な人を見つけてね。
あの世でもいっしょに、なんて考えないで。
あなたが生涯、そしてその先も寄り添う人は私じゃないのよ。
あなたが幸せになってくれれば、私はひとりでも淋しくないわ。
私は先に逝ってしまったけれど
あなたはこれからも生きていかなくちゃ。
私のためにじゃなくて、自分自身のためにね。
きっとあなたなら大丈夫よ・・・。
・・・これが僕の解釈。
他には考えられなかったですねー・・・。
もしよかったら、僕の解釈を参考に「Love Letter」を聞いてみてください。
多分、2番以降の情景も自然に出てくると思いますから・・・。
なにか質問ありましたらコメントください。
僕の解釈に対する感想なんかもお待ちしてます。
