先日50の候補が発表されました。一応、2年前に大賞を受賞していることから、コメントを求められることも多くなりました。候補を見ていて思うことは、やはり上半期に流行ったものはハンディがあるなあ、ということです。(僕自身がそうでしたからね。)




 ノミネートされたものを見ていて、大賞を取るかどうかという観点とは別に、ちょっと気になったものが二つありました。それは「とりま、廃案」と、「自民党、、感じ悪いよね」です。




 前者は、安保法案廃案を求める若い人たちが、デモの際にプラカードに掲げた言葉であり、後者は、自民党の石破地方創生大臣のコメントの中の表現です。




 前者はいかにも若者が使う言葉で、使用者と表現との間に違和感はありません。しかし、後者もまた、若者が使いそうな言葉であって、こちらは、逆に大臣のコメントらしからぬ、という雰囲気もあります。




 


 これが面白いんですよ。




 


 まず、言葉の作り出す閉鎖性に注意しなければなりません。特に日本人は、集団を「内⇔外」と分ける感覚の鋭い国民です。たとえば、符牒と呼ばれるようなその業界の専門用語は、その世界の閉鎖性を表すとともに、内部にいる人間の仲間意識を高める効果があります。同時に、外にいる人間を排除する効果も持ちます。寿司屋のお客さんが、そういった「符牒」を使わないほうがよいのは、そのことで高い専門性を持つ集団に無神経に入り込む、いわば「越境」しようとしているかのような感覚を生み出すからです。(だから、普通に「お茶ください」でいいんです。それに対しての、「上がり、差し替え」という声は、あくまでも「向こう側」のものです。)




 そう考えると、先に挙げた「とりま、廃案」という表現の意味が明らかになってきます。廃案を求めるのであれば、審議している国会議員に「伝わる」言葉でなければなりません。しかし、この言葉を聞いた多くの大人が、「どういう意味?」となるはずです。ならば、この言葉のチョイスは間違いなのか?




 いや、そうではないんですよ。この言葉は、若者たちにはすぐに通じるものです。逆に言えば、この言葉が通じるような若者に向けて、一緒に「廃案」を目指して、我々若者が頑張ろうよ、というメッセージを込めた表現ともいえるのです。「内」に向けての言葉といってよいでしょう。






 一方、石破大臣のコメントはそういう若者たちに「伝わる」ように、集団の「越境」を目指して発せられたものです。言い換えれば、自分たちとは利害の対立する、「外」の人に向けて、あなた方のことをちゃんと考えていますよというメッセージを込めた表現です。だから、特に若者に向けて「自民党、感じ悪くね?」とまでおっしゃっても、今回の場合はよかったと思うんですよ。




 こうやって考えると、なかなか面白くはありませんか?




 僕はこんなふうに、いつも一つの言葉をいろいろな角度から考えています。人が、どういう集団に属しているか、そして、誰に伝えようとしているのかーそんなことを如実に教えてくれるのが言葉なんです。だから、言葉は面白いし、恐ろしいものでもあるんです。






 僕自身が、言葉で「伝える」仕事をずっとしてきていますから、こういうことに敏感なのかもしれません。まず、根本的に言葉は本当に伝わらないものなんですよ。それでも、何とか伝えて他者との間に橋を架けていかねばならない。だから、「伝える」ためには、相手に「伝わる」言葉を探して様々な工夫が必要となります。その具体的な内容を、「『伝わる』言葉と『伝える』言葉」という演題のもとに、講演会で語らせていただくこともしばしばです。




 「伝えたい」ことが「伝われ」ば楽しいし、人間関係も広がります。流行語大賞という、言葉にいつも以上の注目が集まる機会に、自分や周囲の人の言葉を見直してみるのも悪くはないのではないでしょうか? 




 大賞に何が選ばれるかはわかりませんが(たぶん、アレとアレの二つではないかとも思うのですが)、12月1日の発表を待ちたいと思います。当日は、「ゴゴスマ!」(TBS系列)に出演しています。放送時間中に発表されると思ってるんですが、どうでしょうかね。