X(旧Twitter)でちょっと気になる投稿を見かけたので、感じたことをここに残しておきます。
ある親子が100均での買い物中、子供が「これかわいい」と言った時に、母親が「買わないよ」と言ったそう。
投稿主さんは、買ってと言ったわけでもないのに、その返答はないでしょと思ったそう。
私も同感。
子供としたら、そういう意味じゃないのに!と不満を持つと思う。
「買ってなんて言ってないよ」と言い返せればまだいいけど、大体は飲み込んじゃう。
そしてもやもやが残る。
言い返したとしても、やっぱりしこりは残るかな。
この1回限りのやりとりならまだいいけど、これがいつもだと、子供は自分を素直に表現できなくなっちゃうと思う。
自分らしくいられなくなるというか。
ありのままの自分でいられなくなるというか。
生きづらくなると思う。
自分を振り返ると、こんなやり取りがあったかは分からないけど、親に気持ちに寄り添ってもらったことはあまりないと思う。
「怖い」と言えば、「そんなことを怖がるなんて気が小さい」みたいな反応だし、不安を伝えれば、「そんなことでぐじぐじ悩んでも仕方がない」だし、寄り添う気皆無。
私の気持ちを否定しまくり。
私の子供時代は、習い事は言えば全て習わせてもらったし、ほしいものを何でも買ってもらえたわけではないけど、それでも物質的にはあまり不満はなかったと思う。
でも、そういうことじゃないんだな。
どんなに貧しくても(貧しさも時にはトラウマになり得るけど)、感情に寄り添ってもらえれば、いわゆる自己肯定感は下がらないと思う。
自己肯定感とは、
このままの自分でいい。
ここにいていい。
という感覚。
気持ち(感情)に寄り添うとは、子供がしたいことをさせてあげることではないし、お金をかけてあげることでもないし、十分な教育を与えることでもないし、先回りして甲斐甲斐しく世話を焼くということとも違う。
気持ちを否定しないこと。
子供がしたいことをさせてあげることは大事、教育も大事、面倒を見ることも大事だけど、それよりも何よりも気持ちを否定しないこと。
子供が「不安だ」と言っているのに、「考えすぎだ」と否定せずに、「不安なんだね。何が不安?」などと、まずは不安な気持ちを受け止めてほしい。
「これかわいい」と言っている場合、まずは「かわいいね」でいいんじゃない?
かわいいと思えなければ、「そういう感じが好きなんだね」とかね。
気持ちを否定するような親に育てられて生きづらくなったら、親を許せないという思いが芽生えるかもしれない。
でも、そうは言っても育ててもらったしお金もかけてもらったし、感謝こそすれ許せないなんて思ったらいけないなんて思うかもしれない。
そりゃあ、許せるものなら許した方がいいとは思うけど、許せないものを無理やり「もう許した」とするのは抑圧だから止めた方がいいと思う。
それは、自分を見つめるうちに許せるようになるかもしれないし、何かの出来事で許せるようになるかもしれないし、一生許せないかもしれないし。
今、許せないのであれば、許せなくていいと思う。
許せないという気持ちをないことにしないで、きちんと認めた方がいいと思う。
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