以前こんな投稿をしました。
電車内でのそのマナー本当に必要?
電車内での通話について私見を述べました。
この時から私の意見は全く変わりません。
そんな中、今日X(旧ツイッター)に、電車内で通話しているC国の女性が、日本人?に英語で注意されるという動画が流れてきました。
この女性の声の音量は、普通の会話程度で私はうるさくは感じません。(個人差があるでしょうけど)
にもかかわらず、この動画を見たほとんどの人が、「日本にいるんだから日本のマナーを守れ、郷に入れば郷に従え」みたいな意見。
これ、マナーと言う名の同調圧力でしょ。
ルールではないよね。
これについて「ガラパゴスルール」と言っている人がいました。
だよなぁ。
海外ではないマナーだからね。
ああ、息苦しい。
通話してる人に、どんな事情があるかわからないでしょ。
もっと俯瞰で物事を見てほしいな。
と思っていたら、こんな記事を発見。
筆者は、心理学者の島崎敢先生です。
「電車でスマホ」が許せない人たちへ 怒るヒマがあったら、まずは相手の「事情」を想像せよ それが大人の振る舞いだ
電車内での通話のことはもちろん、エスカレーターの片側に立つ習慣についても言及されていました。
これだって、ルールではなくマナーでしかない。
しかも、片側ではなく両側に立った方が効率的だという実験結果も出てるんじゃなかったっけ?
いいこと全くない。
てか、逆にルール違反だそうです。
マナーがルールに勝ってしまったと言えるかな。
話を戻します。
この記事の筆者は、こんなことで怒るのであれば、
「相手の事情に対する「想像力」を持つことと、自分の状態に対する「メタ認知能力」を持つことが有効」と言っています。
本当にそう思う。
メタ認知とは、「自分の認知状態を認知」することである。「メタ」とは「1つ上の」という意味の言葉であり、自分の状態を上空から客観的に見るようなイメージである。このメタ認知がしっかりできれば、「私は、他人の事情を想像できずに攻撃的になりかけている」とか、「自分ではこういうつもりだが、他人からはこう見えているかもしれない」と想像できるようになる。そうすれば、自分の攻撃性にブレーキをかけたり、他人を攻撃的にさせる行為を控えたりできるのではないだろうか。
(記事より抜粋)
ですよねぇ。
確かにうるさすぎるのも困るけど、普通の音量での会話なら、短時間であれば少しは大目に見てもいいと思うけどねぇ。
そもそも、日本には「電車の中は静かにするべき」という思い込みのある人が多いみたいですね。
私は、電車の中が静かなのが是だとは思ってなかったので、多少賑やかでもあまり気にならないのかもしれませんね。
いずれにしても、マナーだからと言って、自分の頭でその必要性の有無を考えず、闇雲に従うのはいかがなものか。
コロナ禍の同調圧力も酷かったなぁ。
しかも間違った知識(私の主観ではあるが)がベースにあったりするから困るんですよねぇ。
そうそう、例えばですが、子供が楽しそうに遊んでいる声がうるさいと感じる場合は、自分の中に原因がある可能性が高いです。
トラウマ的な何かがあると思います。
感情的になる場合、大抵は自分の問題だったりします。
そんな人は、自分を見つめることをお勧めします。
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