最近、OSHOとかエックハルト・トールとか悟りとか非二元とかノンデュアリティとか、精神世界的なものから遠ざかっていた私。
そんな中、過日本棚にふと目を向けたら、OSHOの『こころでからだの声を聴く』が強く主張してきた。
手に取る。
めくる。
あと数ページで読み終えるところにしおりが。
せっかくだから、全て読み終えようとさらにページをめくる。
すると、こんな言葉が突き刺さった。
目を閉じ、ただ自分自身を感じる。これ以上何が必要だろう。あり余るほどだーー深い感謝が湧き起こる。これが、くつろぎだ。
くつろぎとは、この瞬間は充分すぎるほどであり、求め期待し得る以上だーーそのとき、エネルギーはどこにも動かない。それは静かな池になる。あなたは自分自身のエネルギーに溶けてゆく。この瞬間がくつろぎだ。
くつろぎとは、身体やマインドに由来するものではない。くつろぎとは全面的なものである。
『こころでからだの声を聴く』OSHO(市民出版社/2007年)227ページより引用
この言葉、以前ニュージーランドに住むサイキックな妹が言っていたと気づく。
そのことを書いたブログがこちら。
「自分を感じる」と呼吸が深くなってうっとりしちゃう
妹は、スピリチュアルなことに興味がないと言うか、めっぽううとい。
サイキックなのにね。
私が教えるまでOSHOも知らなかった。
それは置いといて。
“自分自身を感じる”
これは、心の底からリラックスできる。
「気持ちいい~」という感じ。
完全に今ここにいるんだと思う。
こんな簡単なこと、やらなきゃ損だと思う。
もったいないことこの上ない。
難しいことは全くない。
私の場合は、目を閉じて「自分を感じる」と意図するだけ。
自分とは、今の体を持った自分ではないと思う。
OSHOも
くつろぎとは、身体やマインドに由来するものではない。くつろぎとは全面的なものである。
と言ってるし。
騙されたと思って、ぜひやってみてほしいな。
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