② 癌宣告のその後 | 山あり谷あり、カーブあり

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家でも仕事でも一緒に頑張ってきた夫と妻のブログ

「ここまでくると、もう治るのは無理ですね」

という言葉の後、先生は言葉を続けた。

「大腿骨に痛みが来ていますので、恐らく、もう少しすると

歩けなくなります。 骨折を防ぐために放射線を当てて

いきましょう」


治療のメインは抗がん剤だと仰っていた。

が、あくまでも 「少しでも延命できる事を期待しての処置」 

なのだそうだ。


「絶望」

・・・・もはや、どうあがいても運命は変えられないのか。

目の前が暗くなり、何も浮かんで来なかった。

死の宣告を受けた夫は、衝撃のせいなのか、まるで上の空

のような表情を浮かべながら、頷いていた。


それから・・・どれぐらい、ただただ絶望していただろう。 

もう助からないのだという事を、受け入れられなくて、しかし

受け入れなくてはならないのだと思い詰め、重苦しい毎日が

続いた。 私は相変わらず、朝から深夜まで店に出て、

夫は、出来る範囲の店の仕事をしていた。

一日、一日が経過してゆくのを恐れながら・・。



癌という病にかかったのだから、癌について学ばなければ

ならない、と徐々に思うようになった。

ネットでさまざまな文献を読んだり、書物を買いあさった。

そして、少しずつではあるが、「治りませんと言われて、

ただ・・ハイそうですか、と諦めてしまうのは間違っている

のではないか!?」 と、思うようになってきたのだった。



まずは、免疫治療の文字が目に止まった。 

自分のリンパ球を取りだし、培養して増やし、体内に戻し

免疫を高めて癌と戦わせるのだと言う。 化学療法との

併用も出来ると言われており、これは試してみる価値が

あるのでは、と心臓が高鳴る。 費用は200万円程と

確かに高い。 でも、これで命が助かるのだとすれば

惜しんでいる理由などない。

9月末のある日、担当医に、抗がん剤治療と併行して

免疫細胞療法も試してみたいのだと、申し出た。


「賛成はできませんね・・・」

と、先生が仰った。 ある程度は予想ができた答えだった。

効果が立証されていれば、厚生労働省がとっくに承認して

いるはずでしょう・・・だとか、そんな事に大金を投じるのなら

残った時間を有意義に過ごすために使った方が良いだとか

そうしたことを言われるのではないかと、内心あれこれと

想像していた。


ところが、先生の仰る 「反対する理由」 は、「命を縮める

リスクが高いから」 というものだった。

この先生が過去に受け持った患者さんの中にも、免疫療法

と化学療法を併用した方が何人かおられたが、良い結果が

得られなかったばかりか、反ってトラブルが生じ、余命が

削られてしまった方が何人もおられたのだと、言う。


私達の 「治そうという儚い夢」 は、まるでシャボン玉のように

パッと消えてしまった。 そんなリスクは取るわけにはいかない。

一か八かで試せるような事ではないし・・・と。


その少し後、ある方の紹介で、国内外で活躍しておられる

癌治療において高名なドクターにお会いする機会をいただいた。

その詳細は、10/6の「2人の先生の言葉 」に記したとおり。

とにかく、少なくとも、医師の言う余命だとか、もう助かりません

という言葉を鵜呑みにして、諦めてしまうのは止めようと

思うようになったのは、このN先生との出会いがきっかけだった。