義母の死 | ズボラな母のすくすく子育て日記的な

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ズボラ母による、娘たちと自分の成長記録。
やりたいと思ったことはなるべく挑戦していきたいと思いつつも、なかなかダラダラしてしまう日々。そんなワタシの子育てと自分の記録を、下手くそな絵日記を交えつつ自己満で書いてます。

義理母が亡くなって、あっという間に2ヶ月半が過ぎた。


本当にほぼ診断通り4週間の余命だった。


診断を聞いた日、

歩いて病院に行ったこの人が?

こんなに普通に過ごしてる(食事はへっていたけど)この人が?

そんなバカなって思ってたけど、、


診断は間違いじゃなかった。

間違いであって欲しかったけど。



亡くなる前日は義理のお姉さんが泊まりで来ていて、義母さんもすごく元気で、とても喋ってた。


お友達も来てくれて、

翌日に義理姉家の子供たちが来るよって、話してて、ひさしぶりだし楽しみにしてた。


翌日いきなり喋らなくなって、私が出かけて戻ってくると完全に呼吸の数が減っていた。


訪問の医師に電話して、下手に救急車を呼ぶと蘇生され本人が望んでいない管繋がりで生かされる状態になるということで、


そのまま息が止まるまで義姉、旦那、私で声をかけた。(子供達は2階)


最後までありがとうといい、

本音は私にはわからなかった。





最初は目の前が真っ暗で、部屋に行くだけで思い出して泣いていた。


母の話を人に話す時にも、泣いていた。


今も泣きながら打っている。




義母の死がいきなり過ぎたから、

一緒にいたから、


ショック度は実の父の死以上だったと思う。


ちゃんと別れまでの時を与えてくれたのに、私は感謝をちゃんと伝えられなかった。


あの時こうすればよかったなんて、無駄なことを考えるし、


義母は私や子供達にとてもいい人だったのに、


私はやな嫁だったに違いない。


なんて、今更どうにもならないことを考えてしまう。




義母がいたから3人の子育てもどうにかなって来たけど、


これからどうなるんだろう。



とりあえずピアノを教えたりしていたピアノ好きの義母だったから、


子供達に今更ピアノを習わせてみた。

(長女は再開)



償いじゃないけど、




人の死はとても辛い。


もう身近な人が亡くなるのは嫌だ。




私自身も

後悔のないように生きなければならない。