この世の中で、
悪と呼ばれるものの根源は、
一体何?
人が悪魔に変わる瞬間、
人が魂を悪魔に売り渡したその瞬間、
何をしている?
それは、
過去に、
やくざ、と言われようが、
元受刑者、と呼ばれようが、
クリスチャンと呼ばれようが、
聖職者と言われようが、
実際には、過去に何をしたか?
なんて関係ない。
今、何をしてる?
それが大事。
この動画では、そこに気付いた人がいる。
それは、
自分よりも、弱い人を虐め、
窃取し、生きている者
それが、本当の悪。
実際には、そういう人は、教会にもゴロゴロいる。
自分は、クリスチャンだと言い、
自分より弱いものを嘲り、批判しては、喜んでいる………
生き方に嫌気がさした!
例えば、
私は、そういう搾取する人の行く末には、
必ず不幸が待ち構えていると信じている。
しかし、実際にこの世にまさか「地獄」が本当にある、…とは思わなかった。
信じる信じないは別として(笑)
本当に地獄があったとしたら⁉
どうしますか?
他人の悪口をいう、他人を批判する…
他人を恨む…
ところで、『言霊』というのは、本当にあるみたいですね。
そう思っているのだけど、
本当に、そういう人達に不幸が起きると、
やはり、驚いてしまう自分がいます。
上の動画を見て、『怖っ‼』と本気で思ってしまった。
その中で、こんな話があります。
天国と地獄
地獄というとみんな、針の山や熱湯の釜などが待ち構えている、
それはそれは恐ろしい場所を想像する。
それに対し、天国はお花畑のような極楽の地を思い描く。
むかし、ある男が閻魔大王様に会いに行き、
天国と地獄というのは、どういう世界なのかを聞いた。
すると、えんま大王様は、男に天国のようすと地獄のようすを
それぞれ見せてくれた。
まず地獄では、ちょうど食事の時間だったので、
人々が、ながーい箸を持って大きい鍋の前に集まっていた。
この地獄では、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。
地獄では、お腹を空かせた人たちが我先にとテーブルに着き、
1メートルもある長い箸を使って、
なべの中のごちそうをとって食べようとするが、
あまりに長く、自分の口にごちそうが届かない。
腕をいっぱいに伸ばして口に食べ物を運ぼうとすると、
隣の人とぶつかってせっかく掴んだ食べ物を落としてしまう。
それでみんな、何も食べられずおなかをすかせ、やせこけていく。
思うように食べ物を口にできない人たちは、さらに苛立ってきて、
「お前が隣にいて俺の食事の邪魔をするから食べられない・・・」
「お前こそ俺の邪魔をしてるぞ」
さらに、他の人の食べ物を横取(よこど)りしようとして、とうとう喧嘩が。
手にしている長い箸は、やがて相手を叩く道具に変わり、
そうこうしている間に食事の時間が終わってしまう。
次に、えんま様は天国を見せてくれた。
天国も食事の時間だったので、人々は地獄のと同じ、
ながーい箸をもって、地獄のと同じ、大きい鍋の前に集まっていた。
天国も、ながい箸で食事をしなければならない決まりです。
天国の人々は、おだやかな顔をして楽しそうにごちそうを食べていた。
長い箸で食べ物を掴むとそれを自分の口ではなくて、
向かい合って座っている人の口へ運んでいるのです。
「美味しいですね。今度は私があなたに食べさせてあげます。
どれがよいか言ってください。」
長い箸で食べ物を挟むと、自分の前に座る人の口へ運んでいく。
相手も、その長い箸で食べ物を挟んでは、自分の前の人の口へ運ぶ。
長い箸は自分のために使うのではなく、相手のために使っていたのです。(笑)
こうして、ながい箸で、お互いに仲良く、他の人とごちそうを分けあっていて、
みんな、感謝の気持ちで、いつも笑顔が絶えず、食事も十分、お腹いっぱい。
閻魔大王様は、
地獄にいる人々は 自分のことばかり考えているため、
いつも喧嘩をして何も食べられない、と言い
天国の人々は いつもニコニコ笑顔で、
仲良くお腹いっぱいなんだ。と教えてくれた。
このように、長い箸、つまり[道具]は、自分の心次第で、
思いやりの道具にもなれば、痛めつける道具にもなる、というお話でした。
くれぐれも、『この地獄に落ちる人』にならないように、
皆さんもくれぐれも、気を付けてください!
それだけをお伝えしたくて、今日は終わります。
今日も感謝、ありがとう!
PS :ネタバレをすると、じつは天国も地獄も、同じ場所なんです。
そこでどう生きるかによって、天国にもなり、地獄にもなる。