この頃、性被害にあった[子供]被害者に対し、

加害者の行為を『受け入れた』のなら、自業自得じゃね?というような、

二次被害を匂わすコメントが見受けられる。

 

例えば、ジャニー喜多川氏のケースなど。

 

 

相手が子供だけに

加害者に対する子供の反応を、理解できない大人は多いようですね。

 

私からしたら、相手は『子供なので』、子供の反応として不思議ではない、ですが

 

どうやら世間は見方が違う、あたかも、その子供が『大人であったかのように』見て

理不尽なバッシング行動に出る。

 

まるで、被害者が悪者かのように!?

被害者のほうを叩く!

 

どうしてそんなことが日本では、起きるのか?

 

ある臨床心理士の記事から抜粋させていただきます。

 

 

5歳児の連れ去り

 

そんな中、5歳ころに近所の公園で1人で手渡りをして遊んでいたら、
知らないお兄さんが一緒に遊んでくれた。

人見知りが強い子どもだったのに、そのお兄さんが「一緒にくる?」と言うので、
私は「もっと大きな公園に連れて行ってくれるんだ」となぜか思い込み、
そのお兄さんの自転車に乗せられて行った。情報元:臨床心理士

 

自分の行動の結果に苦しめられる
後に、この「自分からついていった」ことにすごく苦しめられる

しかし、専門家になり知見を増やす中で、
「善悪の分別のつかない子どもが、行動のその後が見通せない子どもが、
断らなかったからといって受け入れたことにはならない」

という見解に救われる。
 
患者さんの中にも、特に家族間で性的な暴行を受けていた場合に、「自分から機嫌を取るために寄っていった」「最初はどういうことなのかよくわからなかった」等と話されることが少なくない。情報元:臨床心理士

 

 

行動のその後が見通せない子どもが、
断らなかったからといって受け入れたことにはならない」

 

 

■例えば、性被害に遭い、ショックのあまり体が固まってしまい、身動き取れない状態で、相手の思うままになったからと言って、被害者はその行為を受け入れたことにはならないのです!

 

 

 

 

ストックホルム症候群というPTSDに関連した心理状態

■虐待を受けていた場合、「加害者の機嫌を取る」ことは、
将来の自分の傷よりも、とにかく生き延びるために必要になる。

 

 

だから、決して心から加害行為を受け入れたことにはなりません

反面、加害者の方は、もういい歳のはずです。少なくとも、被害者よりも年上でしょう(※)
(※)あえてこう表現したのは兄妹間での性被害を多く聞いているからです。
その場合、兄も子どもだったでしょうが、妹よりも年上で、そして力の強い男性。
そのことを、子どもとはいえわかっていたと思います。そのくらい、幼少期の年齢の差は圧倒的な力の差になる。

強い立場の人間が、弱い者を自分の都合よく扱うことは許されません
だから、被害時に自分がどうであったとしても、悪いのはそのような行動をした加害者であり、あなたが悪いわけではないのです。情報元:臨床心理士

 

 

一方で、「加害者の行動が100%悪い」と思っても、
「自分が悪かったんだ」と思ってしまう気持ちも自然なことであると思います。

「自分が悪かったんだ」と思う原因には、
  • ■「そう考えないと納得できない」
  • ■「そう思うしかなかった」
  • ■「そう思うことで生きていられた時期がある」など、いくつかあると思います。
自分は悪くなかったとしても、そう簡単に自責感がとれないというところも、
性被害のトラウマの特徴の1つ。情報元:臨床心理士
 
 

 

 

性被害の自責の念

 

そうなんですね、性被害には、自責の念がつきものです。ですから、二次被害のような、罠にはまってしまう。

しかし、被害者に行動の責任などあるはずもなく、それゆえに、加害者へ対する責任があいまいになってしまう。

 

 

被害者が証言している時点で、もうこの被害は『疑惑』ではなく、『事実』。

2007年時点の裁判ですでに彼の性暴力は裁判所によって有罪を判断された

メディアやその他の媒体は、『事実』を『疑惑』と呼び、そのことがまるでなかったように扱っている。

 

加害者本人が生きていようが亡くなっていようが、事実は事実なのです。

それが事実である限り、責任はそこにあり、無くならない

 

 

 

告白をすることの大切さ

 

先日書いた記事の一部。

 

情報元:週刊実話WEB↓

 

Twitterより

 

性被害の告発をすることの大切さを、理解していない人が多い。

 

『何がしたくて動いてるの?』という、まるで告発の目的が何か別の意味があるかのように思う人がいるが、

被害者にとっての告発は、『ただ、ただ、事実を述べる』ことです。そして、そのことでリスクも伴います。

過去、何年も、被害者たちの声に耳を傾けてきた。その中でも、自ら声を上げることの大切さを、私は学んだように思う。

 

この先を生きていくうえで、とても大切な事なのです。告発しなかったその他の被害者も、できるものなら、カウアン氏のように、勇気を出したかったと思っているはず。

 

何故なら、傷が癒えることはないからです。癒しへの一歩が、『告白をすること』。事実を伝えること。この勇気が更なる、傷を回復させる。皆さんもご存じのように「勇気への一歩」を踏み出すからこそ、その見返りが齎されるのです。そしてその勇気には、膨大なリスクを伴う。

 

 

戦うことの大切さ

 

戦うことにした彼らは、もう被害者ではありません。

 

被害を受けた者であっても、泣き寝入りをせずに、今は立ち向かう戦士です。

それが、彼等がこの先、その被害を乗り越え、先へ進む、力になります。

被害者のままでいるか、それとも脱却するのか?

 

たくさんの被害者が、立ち上がる勇気を持つまでには、かなりの時間が掛かります

 

悲しみの5段階

 

何故なら、最初は被害を受けたことを認められないからです。否認、怒り、後に、躁鬱、受容へと変化する。

 

否認:まずは、事実を否定し、受け入れないという心の動きがある

怒り:次に、「どうして自分だけがこんな目に合うのか」「自分がもっと適切な対応をしていれば、起きなかったのでは」など、他人や自分、運命に対して怒りがこみ上げる。実際に怒りを他人にぶつけることも、少なくない。

取引:取引とは、「何とかこの状況を免れたい。そのためなら何でもする」など。

抑うつ:何をしてもこの現実から逃れることはできないと感じると、希望をなくし、抑うつ状態に入る。どんなことをしても楽しいと思えず、何にも集中できないといった時期が続く。

受容:悲しみを感じながらも、最終的に受け入れていく。そして次第に日常生活ができるようになっていく。

 

 

なぜ戦うのか?

 

大人になってから初めてわかる、悔しさ、怒り。

 

そういう未熟な子供につけ入る犯罪者を心から軽蔑する

ムキープンプン

 

大人になってからも、自分の被害を大事な人に言うか言わないか
悩んでいる人はたくさんいらっしゃいます。どっちが良いと言い切れるものではない。
 
ただ、「被害にあったことがある」と告白する人がいたら、まず話せたことを受け止めてあげてほしい

口に出して言えただけで素晴らしいこと。そして、その相手に自分は選ばれたということです。言えたことをただ受け止めてあげてほしいなと思います。情報元:臨床心理士

 

 

 

色々なトラウマの文献などを読みましたが、

信頼できる人に打ち明ける、ことが、傷を癒すうえでとても大事なことを知りました。赤ちゃん泣き

 

 

 

今日も感謝。ありがとう。