この頃、性被害にあった[子供]被害者に対し、
加害者の行為を『受け入れた』のなら、自業自得じゃね?というような、
二次被害を匂わすコメントが見受けられる。
例えば、ジャニー喜多川氏のケースなど。
相手が子供だけに、
加害者に対する子供の反応を、理解できない大人は多いようですね。
私からしたら、相手は『子供なので』、子供の反応として不思議ではない、ですが
どうやら世間は見方が違う、あたかも、その子供が『大人であったかのように』見て
理不尽なバッシング行動に出る。
まるで、被害者が悪者かのように!?
被害者のほうを叩く!
どうしてそんなことが日本では、起きるのか?
ある臨床心理士の記事から抜粋させていただきます。
5歳児の連れ去り
行動のその後が見通せない子どもが、
断らなかったからといって受け入れたことにはならない」
■例えば、性被害に遭い、ショックのあまり体が固まってしまい、身動き取れない状態で、相手の思うままになったからと言って、被害者はその行為を受け入れたことにはならないのです!
ストックホルム症候群とは、加害者に嫌われたら命の危険がある場合に、加害者と心的絆を持ったり加害者に好意を抱くことで、危険を回避しようとする心理現象のこと。
— 寝子 (@necononegot) February 12, 2021
被害者の方によく起きている。
これは本能的な防御反応。なんとか自分を守るため。そのときの自分を責めていませんように…#PTSD
ストックホルム症候群というPTSDに関連した心理状態
性被害の自責の念
そうなんですね、性被害には、自責の念がつきものです。ですから、二次被害のような、罠にはまってしまう。
しかし、被害者に行動の責任などあるはずもなく、それゆえに、加害者へ対する責任があいまいになってしまう。
被害者が証言している時点で、もうこの被害は『疑惑』ではなく、『事実』。
[2007年時点の裁判ですでに彼の性暴力は裁判所によって有罪を判断された]
メディアやその他の媒体は、『事実』を『疑惑』と呼び、そのことがまるでなかったように扱っている。
加害者本人が生きていようが亡くなっていようが、事実は事実なのです。
それが事実である限り、責任はそこにあり、無くならない。
告白をすることの大切さ
先日書いた記事の一部。
情報元:週刊実話WEB↓
Twitterより
性被害の告発をすることの大切さを、理解していない人が多い。
『何がしたくて動いてるの?』という、まるで告発の目的が何か別の意味があるかのように思う人がいるが、
被害者にとっての告発は、『ただ、ただ、事実を述べる』ことです。そして、そのことでリスクも伴います。
過去、何年も、被害者たちの声に耳を傾けてきた。その中でも、自ら声を上げることの大切さを、私は学んだように思う。
この先を生きていくうえで、とても大切な事なのです。告発しなかったその他の被害者も、できるものなら、カウアン氏のように、勇気を出したかったと思っているはず。
何故なら、傷が癒えることはないからです。癒しへの一歩が、『告白をすること』。事実を伝えること。この勇気が更なる、傷を回復させる。皆さんもご存じのように「勇気への一歩」を踏み出すからこそ、その見返りが齎されるのです。そしてその勇気には、膨大なリスクを伴う。
戦うことの大切さ
戦うことにした彼らは、もう被害者ではありません。
被害を受けた者であっても、泣き寝入りをせずに、今は立ち向かう戦士です。
それが、彼等がこの先、その被害を乗り越え、先へ進む、力になります。
被害者のままでいるか、それとも脱却するのか?
たくさんの被害者が、立ち上がる勇気を持つまでには、かなりの時間が掛かります。
なぜ戦うのか?
大人になってから初めてわかる、悔しさ、怒り。
■そういう未熟な子供につけ入る犯罪者を心から軽蔑する
色々なトラウマの文献などを読みましたが、
信頼できる人に打ち明ける、ことが、傷を癒すうえでとても大事なことを知りました。
今日も感謝。ありがとう。