30代の独身女性*アイリス*と申します。
私は看護師として総合病院、介護施設、看護学校で
働いてきました。
趣味は舞台観劇と好きなアーティストの応援です。
私は寝ている時ですら仕事をしていました。
そんな夢を見続け、休まっていない身体は不眠状態が続き、
とうとう精神が崩壊してしまいました…。
では、どうして精神が崩壊したのかと申しますと、
それは、私の看護師として激務な仕事が起因しています。
もしも、あなたが私と同じ看護師でしたら、
「激務」と言う一言でご理解いただけますよね?
私がこのブログを書くことにした理由は、
そんな激務に日々耐えている看護師のあなたが、
これから先、仕事との向き合い方について
一緒に考えていくきっかけにしていただきたい為です。
あなたは自分を大切にできていますか?
あなたは何を大切に生きていますか?
私は今まで、自分を大切にできていませんでした。
その原因とは、自分自身も自分以外の人も
心から信じられないことです。
そんな自分を変える為には、
今までの人生を振り返りながら現状を整理していき、
表面的な変化ではなく、もっともっと深くにある課題を
乗り越えていく必要があると考えています。
そして、自分自身のことも、周りの人のことも
心から大切に想い、行動できる人間になります!
では、私がなぜ、自分自身も自分以外の人も
信じられなくなってしまったのか。
それは成人を迎えるまでの経験にあります。
身近な存在である、親、友人、異性と関われば関わる程、
自分にはマイナスにとれる反応が返ってきました。
それはいつも突然起こり、その意味もわからず、
何をしても悲しい思いが溢れていました。
すると徐々に「私が生まれてきた意味はなんなのか?」
と自分自身を信じることすら怖くなっていったのです。
そして自然と人から嫌われたくない、怒られたくない
"いい人"でいる自分を創って生きていくようになりました。
嘘で創られた私はその後も
様々な試練にぶつかっていくことになるのでした。
看護師を目指したきっかけ
両親が離婚し、家にはとにかくお金がありませんでした。
そのため、パン屋になる夢はすぐに諦め、
確実に資格がとれ、お金がそこそこもらえる職業、
そして学費や交通費を極力抑えた
公立の看護専門学校へ進学することにしました。
看護師の資格を取得し、総合病院の病棟へ就職しました。
看護師は、患者さんが疾患により日常生活で
不便となっている部分を支える仕事です。
それには様々な情報から、客観的に捉える力が必要です。
関わる際にも、自分自身のことも客観的に捉え、
患者さんに合わせた関わり方をする必要があるのです。
就職して1年目は先輩からの心無い言葉や、
無理な課題を課せられたこともあり、
社会人とはこんなに大変なんだな。
と厳しさを知ることになりました。
そして「自分が嫌と思ったことを、人にはしない」
が教訓になりました。
仕事は大変でしたが、好きな服が買える、
好きな場所に旅行にいける、好きな舞台観劇ができる、
好きなアーティストのライブに行ける。
この自由になるお金がもらえることが
何より嬉しかったのです。
私にとって看護師の仕事とは、社会に所属し、
お金を得ることで好きなことを思い切り楽しむ為に、
自分を守る武器となりました。
崩壊していく精神状態
しかし、無意識のうちに無理をして働き続けていた私に
異変が起きていきました。
就職して4年目の秋、病院内でカルテシステムが
電子化への変更する時期、連日の残業と
慣れないパソコン作業から突然、
寝ていても仕事をしていました。
毎日ナースコールが鳴り響く病棟内を
駆け回っている夢を見続けていたのです。
そして休まっていない身体はとうとう限界を迎え、
不眠となりました。
更に年月が経つにつれ、忙しい病棟から
先輩は去っていき、約20名いる看護師のうち、
半分が5年目以下となっていました。
私は後輩の相談はいつでも聞き、
優しい先輩と言われていました。
また看護学生の実習指導者をしており
学生にも慕われていました。
徐々に任される仕事は増え、残業の日々…。
突然不正出血が1か月間止まらず、顔色は白く、
動くのもやっとで、血液中の血液濃度を表す値は
通常の1/3まで低下していました。
このままでは倒れてしまう……。
そんな時、同期の友人が病院を辞め
派遣で仕事をしていて、沢山の働く場所があることを
教えてくれました。
私は看護師は病院でしか働けないと思い込み、
他の場所を知らなすぎたのでした。
そして、10年間勤めた病院を辞めることにしました。
その後、派遣で介護施設、契約社員で看護学校の教員と
職場を変えて経験を積んでいきました。
学校で勤務している時にもまた試練はありました。
看護師は命を預かる国家資格です。
しかし、責任を教える側の学校、
学ぶ姿勢が大切となる学生、どちらも今まで私が
経験してきたものとは異なり、看護師としての
考え方もことごとく覆されていきました。
この間に世の中はコロナ禍となりました。
唯一の楽しみにしていた趣味は容赦なく
制限されてしまい、仕事が自分への足枷のように
どんどん重くなっていきました。
そして2022年10月、学校に就職して3年が経ったころ、
ある転機が訪れました。
人生最大の転機、その先には
私は教員として、病院での臨地実習指導を担当していました。引率する学生の学年や、実習内容は様々で、3週間実習を5クール、計15週間連続という指導スケジュールでした。
その2クール目の実習中、私の意識はどこか遠くにいたようで、学生待機室の椅子に座るはずが、気付いた時には床に尻もちをつき転倒していました。左手がついた場所は鉄でできた支柱でした。痛みを感じすぐに手首も指を動かしましたが、動いたので、あ。大丈夫。と思い過ごしていると、みるみると手の甲が腫れていきました。私は左手のひらにある骨の骨折をしました。
大怪我をしましたが、職員の減少、多忙なスケジュールのためすぐに休むことができず、保存療法の選択をして働き続けました。約2ヶ月、毎日痛み止めを飲み続け、保冷剤を持ちながらの仕事。その間、手の腫れ、痛みが引くことは一切ありませんでした。慣れない片手での生活で精神的にも限界を感じ、主治医に診断書をもらい、やっと療養休暇をもらうことができました。
今まで看護師として走り続けた私は、その療養期間中に一番に自分のことを考えるようになりました。
すると規則正しい生活といわれる、バランスの取れた食事、充分な睡眠、適度な運動、陽を浴びること、全てが疎かになっていることに気付きました。
私は看護師として、自分自身を客観的に捉えていた"つもり"でしかなかったのです。
「仕事でお金を稼ぎ続けないと何もできない」そんな思いに囚われすぎて、その仕事により心身をボロボロにし続けていたのでした。
また「可哀想な私」という自分以外のせいにし、悲劇のヒロインでいる自分が心地よかったんだと思います。
しかし、これは看護師になっていなければ気付けもしなかったし、考えもせず、ただただ下を向いて生きていたと思います。
振り返れば、人を信じられなかった私は、試練がある度に、悩みを聞き支え、助けてくれた職場の方や、私よりも私のことを信じてくれた友人に何度も救われていました。また真面目で負けず嫌いな性格、ここぞという時の運の強さ、大好きな趣味があったことも試練を乗り越える力になっていたんだと思います。
私は2023年、自分を大切に、また人を大切にできる人なるために自分を変えると決めました。その第一歩として、3月で看護師の仕事を辞めました。
不眠は続いていたため、メンタルクリニックに通い、まだ完治しきっていない骨折のために、まず生活を規則正しくし、穏やかに、ゆっくりと自分の好きなことをしました。本気で自分の今までの考え方を徹底的に変えていきました。
さて今後、仕事はどうしようか…?
そんな時にある出会いがありました。
では、改めて自分を大切にするとは?
自分自身の考え方、何かの行動、環境、仕事、人との関わり、その全てなのか、またはそれ以外なのか…?
私の名前*アイリス*は花の名前です。
花言葉は、「希望」「信じる心」「吉報」「良き便り」「知恵」などの意味を持っています。
結局は自分で決めた職業、職場、歩いてきた道であり、決して人のせいにはできません。
人生において無駄なことは一つもない、
"これからの自分"をつくるのは"今日の自分"なのです。
「希望」や「信じる心」を持ち「知恵」を出しながら日々、徹底的に自分と向き合っています。
日々激務をこなし、心身共に疲弊させながら耐え続けているあなた、「自分を大切にするってなんだろう?」と思っているあなたと一緒に考えることができたら嬉しいです。
よろしくお願い致します!