30年前、早朝の眠りを引き裂いた阪神大震災。

私は兵庫県東部で被災。

何かが爆発したのかというような最初の衝撃で、ベッドの上から弾き飛ばされた。

おりしも娘が誕生して1ヶ月目。

家の倒壊は免れたものの、家具は倒れ、ピアノは部屋の端まで吹き飛ばされ、

食器・ビン類も粉々。割れた調味料などが飛び散り混ざり合ってひどい匂いだったことを今でも覚えている。

 

地震そのものもなかなか収まらず、不安な日々。なおかつイングラが完全に失われている。

眼の前に怪我人がいても当然救急車も呼べない。道路に寝かされた人も、その場で息絶えた方も。

そして何より私の不安は、生後1ヶ月の娘であった。

電気もガスも水道もない。暗闇と寒さの中で、得体のしれぬ恐怖におののいた。

 

大変だったのは震災後。

家は何とか無事だったので、寝る場所には困らなかったのが唯一の救いだったが、終わらぬ余震に不安が続く。

朝になると自衛隊の給水車が来てくれた。朝のルーティーンはポリタンクを持って給水車に並ぶこと。

18リットルのポリタンクを抱えて多くの人の列に並ぶ。

でも、洗い物ができるほどでもないし、ましてやトイレを流すことすらできない。

そこで生活の知恵。

知人や友人からペットボトルの差し入れは本当にありがたかったので飲み水はそちらで賄えた。

そして食べ物は食器の上にサランラップを敷いて使用。おかげで洗い物は最小限に抑えられた。

トイレも、流せないので、一日の分を便器にためておき、その日の最後に残った水で流すということでしのいだ。

また、夜の闇を照らすためにローソクも役に立った。

缶飲料の缶を半分に切り、即席のローソク立ても役に立った。

 

もう一つ嬉しかったのが、カセットコンロ、カセットボンベの差し入れ。

お湯が沸かせない中で、この2つの差し入れは、本当に嬉しかった。

お湯さえわかせれば生後1ヶ月の娘のミルクも作れるし、我々もカップラーメンなどを食べることもできる。

このときほどカップラーメンがうまいと思ったことはなかった。

そして、娘のミルクもそう。友人が粉ミルクを届けてくれたのだ。

 

阪神大震災の場合、不思議に、震源から川を超すたびに被害が少なくなっていた。

友人から声がけいただき、川2本超えたお宅に行ったら、電気もガスも水道も普通に使えている。

3日に一度、お風呂にさそっていただけたのだが、湯船につかると思わず泣けてきた。

 

そんな悪夢が、また繰り返されている。

もし支援できるのなら、ラップ、カセットコンロ、カセットボンベ、水、レトルト食品、

カップラーメン、ミネラルウオーターなどを中心に送ってあげてほしい。

 

震災によって、本当の人の温かさ、気持ちが心にしみた。

多くのものを支援してくれた友人、自衛隊の皆さん、そして各都道府県から派遣されてきた皆さん。

町中をいろいろな都道府県の名を冠した緊急車両を見るたび、手を合わせたくなる。

 

被災された皆さんにも、1日も早く平和で幸福な日々を取り戻していただきたいと願う。