・音色の良いオーディオ機器を買いそろえる
ヤフオクを見ていると、落札価格の相場はバブル崩壊を迎えたようだ。
これは多くの中古オーディオ機器を安く手に入れるチャンスであると同時に、音色の良いオーディオ機器を探し出すチャンスでもある。これまで目にすることのなかった、珍しい機種や超高級品といったものも含めてこれが最後になるだろう。
修理部品も底をつき、修理できるエンジニアも少ない。
これから盛り返す土壌もない、これは新品にも言える。
庶民が買える商品ではなく一部の超お金持ちが、細々と楽しむ道楽へと戻っていった。
逆に奇跡ともいえる1960年代から1980年代初頭までの間に作られた、当時のオーディオ機器はどんな最新鋭も、最高級も凌駕するもう二度と作ることのできない要素がたくさん詰まっている。
・出来る限りの修理をして、壊れたら諦める
部品にも音色の良しあしがあり、修理の際になにも考慮されず部品交換されてしまうことがほとんどだ。
このごく一部の人間だけが知るノウハウを手に入れ、維持している。
もちろん次同じ部品が手に入ることは無いし、ノウハウも消えているだろう。
いつまで使えるか分からないが、もし生きている途中で壊れてしまったのならそこでオーディオ趣味を諦めると決めている。
・音色の良いオーディオ機器のみ、お金を出す価値がある。
音色が良いか悪いか、これは生演奏を聴いて耳の感覚を鍛えて覚えることと音色が良いオーディオ機器で、質の高い録音がなされたソフトウェアでじっくり音楽を聴くこと。
当たり前だが、これがオーディオ機器に必要な最低限の能力である。
大半のオーディオ趣味の人間は気づくことなく、人工的で冷淡な音色の悪いオーディオ機器で音楽を聴いたつもり、知ったつもりになって終わっていくがそれが正しいこととされる。
つまり、オーディオ機器として大切な生演奏が放つ音色を全く再現できなくても構わない。
最低限の能力以下が合格点なのだ。
そして音色の悪い機器が総数の9割を超え、安いものから高いものまで無数の選択肢、組合せが存在する文字通りの沼である。
その中でもがき苦しみ、シニカルに笑いお互いをけなしあい、マウントを取り死んでいく。
残念ながら、そういった沼の外にある真実に気づき総数の1割にも満たない選択肢と組み合わせの中からオーディオ機器を選び、生演奏に限りなく近い最高の再生環境で音楽を聴いている。
だからこそ演奏家に敬意を払い、偉大な作曲家の奏でる旋律や作詞家が送る世界を垣間見ることができる。
お金を出す価値があるとはこういうことなのだと思う。
・目指す未来はない、目指して失った過去から得る。
これにつきる、どれだけ目指す未来に希望を持とうとも方向をとっくに間違えて突き進んでいるのだから。
今からいかに過去から得るものを手にすることができるのか、終わった世界から掴むことができるのはそれだけだ。