こちらのほうがあっという間に駆逐されていった感じである。

 

携帯電話からスマートフォンへ、カメラユニットの性能は大きく進化し「写真機」の存在は消え失せた。

さらに誰もがボタン一つで、プロ並みに綺麗な写真が撮れるということは「写真機」を使いこなすことができる

カメラマン(フォトグラファー)の存在を駆逐するものでもあった。

 

現像してプリントして引き延ばして、額に入れて飾ったりフォトアルバムにする行為も消えた今、

写真という言葉も「画像」という呼び方に統一されて、いずれ誰も呼ばなくなるだろう。

 

フィルムカメラは一時期盛り上がりを見せたが、それもおしまい。

まだフィルムそのものを生産し続けていることに驚く。

 

自己表現の道具として優秀な「作品」を生み出してくれる手段が、「自己顕示欲」を満たす記録のための

手段に生まれ変わり、それはそれで画面の中のみ存在する虚像であふれかえり目を楽しませる手軽な娯楽になった。

一部の人間が独り占めしていた敷居が崩れた今、もはや趣味と呼べるものではなくなった。

 

非日常を楽しむ行為が趣味、それが日常と化して誰でも出来るような安易なものになってしまえば

価値は全くないのと同然である。

 

 

やりたい人間が自分勝手に写真機を手に、芸術家気取りをする時代になった。