それは閉店が差し迫る、寒い冬の日であった・・・。

 

運命の日、2019年11月16日

 

在りし日の多田オーディオの店頭の風景(左奥の通路の奥に・・・)

 

11月に入ったある冬の日、僕は吸い寄せられるようにお店の中へと入っていった。

特に何か目的があるわけではなく、いつものようにオーディオの話ができればと気軽に思っていた。

 

在庫整理処分に伴う動作確認の為、ついに灯がともる。

 

店内で目にしたのは、初めて見るスピーカーの姿。

スタックスのスピーカーが、ついに動き始める。

ヤフオクで処分するために、事前の動作確認を行うために今まさにセッティングが行われているところだった。

数十年ぶりに、定位置から移動し配線が接続される。

 

常連客も見守る中、眠りから目覚める

 

使用したアンプは、デンオンのPMA-970でCDプレイヤーはCECの連装式CDチェンジャーだった。

ちょうどセッティングが終わるころに、常連客たちが集まり始める。

そしていよいよ、音出しが始まった。

 

コンデンサー型は、電源を入れてしばらくしないと本領発揮しない(電極と振動膜の間に電子が十分に満たされないから)。

最初はか細く、小さな音で高音も低音もなんだか濁っていてすっきりしない。

見た目の割にはがっかりした音質だった。

しかし、だんだん時間が経つにつれてクリアさを少しずつ取り戻しながら、実力の片鱗を見せ始める。

「アポジーとスタックス、比較するならどちらが一番でしょうか?昔アポジーを買おうとしたのですが」と

店員さんに質問すると、「アポジーより癖が少ない、間違いなくどんなスピーカーを差し置いても世界一のスピーカーです。

 

そして次の言葉が僕の背中を思い切り蹴り飛ばした。

 

「このままいけばヤフオクで処分します」

「置き場所があれば手放したくない、このスピーカーに勝るものは無い」

「若いころ、このスピーカーが奏でるチェロ無伴奏の素晴らしい音質に惚れて、ここで働くようになった」

 

心を揺さぶられる言葉が並ぶ。

そして、ふと思ったのだ。

 

僕にも買うチャンスがあるわけだ、今まさに。

世界一のスピーカーを手にする、唯一無二のチャンスに恵まれた私に、

他に選択する余地は無かった。

 

「買います」

 

そう興奮を抑えきれずに答えた、価格は交渉の末に1ペア6万円と決まった。

 

ついに手に入れたのだ、高みを目指した果ての終着点。

「音極点」

その一歩を静かに踏み出した。

 

古今東西の名機たちが祝福する中、ついに新たなオーナーを得てスタックスは再び人生を歩み始める。

 

父親に声をかけ、力を合わせて名機の輸送に挑んだ。

 

まずは巨大な衝立型スピーカーを我が家に迎え入れないといけない。

支払と輸送の段取りを済ませたのは、年の瀬迫る12月入ってからの事だった。

大のクラシックファンの父親に、スタックスのスピーカーを買ったことと輸送を手伝ってほしいと伝えると、とても喜んでくれた。

ずいぶん前に、スタックスのイヤースピーカーを聴いて音質の良さにずいぶん感心したとのこと。

様々な名機と呼ばれるオーディオ機器に触れてきたが、スタックスのスピーカーの存在を今回初めて知ったと言った。

 

若いころに引っ越し業者でアルバイトをしていた父親の経験が役に立ち、無事に家に向かい入れることができた。

 

これは小さな一歩であるが、同時に大きな一歩でもあった。