「権力」は重力のように地球上をおおい、人間に影響を与えつづけている。ひとりのときは意識に隠れているが、ふたり以上でそれはあらわになる。権力による抑圧は職場では上司、学校では先生、家族では父や母から感じていた。「今から思えば、けっこうな抑圧(=支配)もあったんちゃう!」とよみがえる。

写真は社内風景のイメージ



ただし、身近な権力者の半数以上は『支配』目的を念頭におきながら、接していたわけではない。むしろ、権力には『融和』要素が必要だと考えていたように思える。《ワイの権力観はだんだん変容してきている》。これらのことが単純に権力を否定できない理由でもある。権力の*両義性と言えばいいのだろうか。


あらためて整理してみよう。権力=支配ではない。父性的な『支配力』と母性的な『融和力』が相まって、権力は意義をもつ。民主国家では『支配力』の領域を拡大し過ぎると、個人✖️◯倍の反発をかって政府や企業、家族は崩壊しかねない。両者の力がうまく融合すると権力は安定し、次のステージへ行ける。


政治と権力を考えてみよう。国家権力はズバリ『支配力』に負うところが大きい。支配の源泉は法律の制定と執行、軍事・警察による統治、税収の差配等など。専制国家の露国、中国は『支配力』を最大限に増強し、国民を管理している。「『融和力』を蔑ろにすると、いずれシッペ返しを喰らうんちゃう!」。

写真はプーチン大統領と習近平主席


写真はロシアによる「ウクライナ侵攻」



ワイが生きている間、権力は消滅しないし、日常の人間関係にまでおよぶ。社会生活では『支配力』が強くなり過ぎると、倫理感覚を失って人権侵害をはじめ、パワハラ、セクハラという愚行にも進みかねない。権力強者には『融和力』が内包する信頼や愛情、寛容などの倫理スキルを探求してほしい。

写真はパワハラのイメージ



『融和力』をもう少し説明してみよう。権力を『支配力』としか考えないと、支配という抑圧だけが感じられ、権力弱者はこころの晴れない状態がつづく。《生きづらさと言ってもいい!!》。権力に融和という寛容精神が含まれると、権力強者の信頼度も増すのでは。『融和力』アップのトレンドはきている。


ワイが本当に目指したいのは権力構造の解体(フラットな平等社会)だが、まず構造内容を変えていけることを知ってほしい。つまり『支配力』優勢から『融和力』優勢へと権力構造が変換できるということ。権力者=資産家に基づいたピラミッド型社会は願い下げだ。努力したら報われる社会であってほしい。

*両義性:一つの事柄が相反する二つの意味を持っていること。対立する二つの解釈がその事柄についてともに成り立つこと。
★今回のブログは「私的権力論」であり、なにかを参照にしたものではありません。