2026年7月上旬。

かかりつけの病院の受信日。


この日は、隔週で行っている抗がん剤の投与と、腫瘍マーカーを確認するための採血の日でした。

妻は朝から病院へ向かい、私は仕事をしながら連絡を待っていました。

今回は主治医へ伝えておきたいことがいくつかありました。

・関西の病院への紹介状やFAXの手配など、迅速に対応していただいたことへのお礼
・治験参加が決まった場合、ウォッシュアウト期間(抗がん剤を体から抜く期間)が必要になるため、次回の抗がん剤をスキップさせていただきたいこと
・治験参加後も、かかりつけ医としてフォローをお願いしたいこと

私は付き添うことができなかったため、内容を紙にまとめ、妻から主治医へ渡してもらいました。

採血を終え、主治医の診察でその紙を渡したところ、

「もちろん、治験参加後もフォローさせてもらうつもりでした。」

と言ってくれたそうです。

会計待ちの間にその知らせを受け、ほっとしたことを覚えています。

そして、もう一つうれしい結果がありました。

2026年の1月から上昇を続けていた腫瘍マーカーが、約6か月ぶりに下がっていたのです。

CA19-9は1900から1800へ、わずかではありましたが低下していました。

揺らぎの範囲だったのかもしれません。

それでも、

「まだオニバイドは効いている可能性がある。」

そう考えられる結果でした。

もし治験が終わった後でも、オニバイドへ戻れる可能性が残る。

私たちにとっても大きな意味のある結果でした。

主治医も、

「ここにきて下がってくれましたね。」

と喜んでくれていたそうです。

未来への希望が、少しだけつながったように感じました。

翌週、7月中旬。

私たちは再び関西の病院を訪れました。

今回は治験の同意説明と、放射線科受診のための来院です。

まず治験担当医の診察があり、その後CRC(治験コーディネーター)から冊子を使って詳しい説明を受けました。

説明された内容は、

・治験薬の仕組みについて
・治験期間中の生活上の制限
・スクリーニングで行う検査
・投与スケジュール
・治験終了となる条件

などでした。

その中で、一番驚いたのは募集枠の説明でした。

私は、それまでjRCTに掲載されている募集人数が、そのまま日本で募集している人数だと思っていました。

しかし実際には、掲載されている人数は世界全体の募集人数で、日本に割り当てられる人数はその一部であり、さらに複数の病院で分け合っているとのことでした。

治験はタイミングが重要だと言われる理由を、このとき初めて理解しました。

CRCからの説明が終わりましたが、放射線科の予約時間まで少し余裕がありました。

そこで、

「できる検査は先に進めておきましょう。」

ということになり、

・血液検査
・心電図
・心エコー
・腹部画像検査

を先に受けました。

 

どれも治験の冊子に記載があった、スクリーニングに必要な検査でした。

その後、放射線科で生検と頭部MRIの日程を決め、再び治験担当医の診察へ戻りました。

診察の結果、翌週、生検と頭部MRIを行い、すべて問題がなければ7月下旬から治験薬の投与を開始する予定となりました。

その日は、

「早く終わったら少し観光して帰ろうか。」

と話していました。

しかし病院を出た頃には17時を過ぎており、結局そのまま新幹線に乗って帰宅しました。

数日後。

関西の担当医から電話がありました。

何事かと思っていると、

「治験には影響ありませんが、肺に影のようなものがあります。今後はこちらも一緒に経過を見ていきます。」

という内容でした。

腫瘍なのか、転移なのか、それとも別のものなのか。

この時点では何も分かりませんでした。

それでも、こうした細かな変化についてもすぐに連絡をくれることが、とてもありがたく感じました。

念のため、かかりつけの主治医へ連絡し、告知時のCT画像を準備してもらい、翌週、関西の病院に持参して比較読影してもらうことにしました。

翌週。

私は仕事があり付き添えず、妻一人で関西の病院へ向かいました。

生検を行うため、一泊二日の入院の予定でした。

妻とは頻繁に連絡を取り合っていたため、状況はその都度知ることができました。

生検と頭部MRIの検査は滞りなく終わり、妻は予定どおりに退院し、帰宅しました。

この時点で翌週から治験薬投与の日程が組まれていたため、

「スクリーニングは通過できた。」

そう思い、ようやく安心しました。

妻が参加する治験では、1クール目は安全性確認のため病院でモニタリングを行う必要がありました。

そのため、2〜3週間ほど入院する予定でした。

初回を乗り越えれば、その後は投与日に通院するだけになります。

「あと少しだね。」

そう話したことを覚えています。

そして翌週。

妻はキャリーバッグを持ち、朝6時半頃に家を出ました。

ようやく、ここまで来た。

私は長い間張り詰めていた緊張の糸が、少し切れたような気持ちでした。

ところが、その安心は長く続きませんでした。

実は前日から妻は微熱があり、解熱剤を飲んでいました。

最近はほとんど熱を出すことはありませんでした。

フルタイムで仕事を続け、友人とも会い、かかりつけ病院に加えて関西まで通院する生活。

身体には相当な負担がかかっていたのだと思います。

それでも妻は弱音を吐くことなく、ここまで治療を続けてきました。

朝には熱も下がっていたため安心して送り出したのですが、病院へ着いた妻から連絡が入りました。

「熱がある。38度ちょっと。胆管炎だったら治験に参加できないって。」

その瞬間、私は治験の冊子の参加条件に書かれていた一文を思い出しました。

「参加前14日以内に抗生剤を使用していないこと。」

頭が真っ白になりました。

私はしばらく、ただ泣いていました。

告知からずっと張り詰めていた気持ちが、一気にあふれ出したようでした。

「ここまで頑張ってきたのに、どうして。」

私ですらそう思ったのです。

本人は、もっとつらく、もっと悔しかったと思います。

その後、関西の担当医から私へ電話がありました。

CTと血液検査の結果、胆管炎の可能性は低く、腫瘍熱でもなさそうだという説明でした。

そして、

 「お二人の気持ちは分かっています。容態が急変すればすぐ抗生剤を使いますが、解熱剤で明日まで様子を見てもいいですか。」

と言ってくれました。

私は、

「はい、お願いします。」

と答え、電話を切りました。

妻にもその内容を伝えました。

「水分をたくさん飲んで、ご飯を食べて、薬を飲んで、とにかく今日は休もう。」

それしか言えませんでした。


あの時は、14時頃だったと思います。
 

それから翌朝までの約18時間。


ただただ、不安な時間が過ぎていきました。