もうダメっすね。1個新しい知識が増えると、色々考えてしまう自分が。こういう議論は学者を仕事にしてる人には良いけど、実用面で物を考える人には無意味な議論になっちゃうけど。
主観と客観の問題って古くからある問題で、観念論と経験論的なところからもあるよね。
だいたい普段僕らが使う言葉は主観的な言葉と客観的な言葉がごっちゃになってて、どこかから共通認識の客観的な言葉になる。
で、一応フッサールの場合はこの辺りを「間主観性」という概念で乗り越えようとしたのね。
で、この「間主観」というのでいくと、言語はもともと主観的だけど、どこかのタイミングで他人と共有されて主観的な言葉から客観的な言葉に変わるのねん。
僕らが言葉を通して意思を疎通できてるのももともとは主観的な言葉を他人と共有したから。実は他人の見ている「赤色」と自分の見ている「赤色」が同じということを証明することすらできないのねん。
あえて原典は読まない。10年ぐらい前に勉強した話をベース。だから細かいところは適当。意外と覚えてるもんだ。もしかしたらちょっと違うかも。指摘は不要。このことを深く考えるつもりも今のところないから。