『時計』   4  完結 | なんちゃって作家の青息吐息

 同じとき時間が過ぎてゆく。一度経験したことのある時間。既視感とは全く違う、同じことを繰り返す日々。
「あれ? ここ、お義父さんがよく行ってたところじゃないですか?」
 圭一郎君が折りたたんだ新聞を持ってくる。
「数千万円の価値がある、古い懐中時計がなくなったらしいですよ」
「そりゃあ、大変だな」
「盗まれたんですかね?」
「さあ……。俺はここ最近行ってないからな……」
 あれから随分と考えた。が、主人がどうして手放したのかなんて、もうどうでもいい。店の方にも一切近寄らなかった。主人に話をしても無駄な以上、あまり気分のいいもんじゃないが、これが一番いい方法だと思う。そう、証拠は何一つないのだ。
 ゆっくりとコーヒーを飲み、俺はぶらぶらと、近所の床屋へ出かけた。
 あれ以来、時計は必ず持ち歩くことにしている。何かあった時にはすぐ、時間を戻せるように。
「誰か、救急車を!」
「事故だぞ!子供が轢かれた!」
 こんな事も、俺には造作がない。リュウズをちょっと回せば五分前だ。
 坂道の方から楽しげな声が聞こえてくる。
「車が来るから、気をつけなさい」
「えー、来てないよぉ」
 俺が声をかけると、子供達はキョロキョロと周りを見まわした。
「これから来るんだよ。だから、もう少し端によりなさい」
 その時ちょうど、坂道の上から車のエンジン音が聞こえてきた。
「わー、ホントだぁ」
「おじさん、ちょーのーりょくしゃ?」
 超能力者か。と言うよりは、一種神に近い存在とも言えるか。
「斎藤君、最近冴えてるね。この調子でガンガン頑張ってくれよ」
 いつもは気難しい顔で話しかけてくる社長も、業績がうなぎ登りに上がっているので機嫌がいい。当然だ。俺の辞書からは”失敗”という文字が永久になくなったのだから。
 これで、何もかも解決したかのように思えた。いつも通りの穏やかな生活に戻る。
 だが、それは次の週の日曜、突然やってきた。誰かが午前中からチャイムを鳴らしているのだ。
 うちの日曜は遅いんだ、また後にしてくれ。寝ぼけまなこで布団をかぶり直すと、真美が不安そうな顔つきで部屋に入ってきた。
「……お父さん、警察の人が……」
 その言葉に、一瞬にして目が覚める。
「警察……? 何の用だって……?」
 なるべく平静を装って言ったつもりだったが、うまく口がまわらない。
「骨董屋さんの時計について、少し聞きたい事があるんですって……」
 俺は急いで着替えを済ますと、二、三度深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
 大丈夫、証拠は何もない。知らぬ存ぜぬを通しきればいいのだ。下手なことを言いさえしなければ……。
 また、膝が痛んだような気がした。
 階段をおりて応接間に顔を出すと、二人の刑事らしき男が立ち上がって会釈をした。二人ともまだ三十代前半だろうか、テレビに出てくるような刑事とは全然違う。どこかの商社の営業マンのようだ。一人は七・三分けで銀縁メガネをかけたインテリ風、もう一人は髪を短く刈り上げた、体育会系の男だった。
 俺も、少し頭を下げるとソファに腰を下ろす。ちょうど、真美がお茶を淹れてきたところだ。
「お休みのところすみません」
 男達は、身分証明を見せて名乗った。やはり、あの時計は盗難事件として捜査されているらしい。
「……で、斎藤さんは、九月二十二日、どちらにいらっしゃいました?」
「え?」
「あ、疑うわけじゃないんです。あのお店の常連さんは、疑われないように全員のアリバイを伺っているんですよ」
「……先月の二十二日……は……」
 少し時間を戻しすぎたせいか、当日のことがなかなか出てこない。が、その時、真美が助け舟を出してくれた。
「やだ、お父さん。その日は私達に出かけるなって言った日よ。有給まで使って、一日中家にいたじゃないの」
「ああ、そうか。そう言えばそうだったな。……確か、お前の友達の上原さん……ていう人が突然遊びに来たよな。刑事さん、その人が証明してくれますよ」
 俺は真美の方から向き直ると、そう言った。
「……立ち入った事を聞くようですが、なぜ、その日は家にいらっしゃったんですか? 何か大事な用でも……?」
「……それは……」
 娘が死ぬのが分かっていたから。
 そんなことは言えない。
「それが、本当は私と主人は子供を連れて出かける予定だったんです。でも、父が、どうしても今日は家にいろって。いやな予感がするからって言ってたら、夕方、私達が通る予定だった高速で事故があって……」
「ほほう、虫の知らせ、っていうやつですかな」
 ……嫌な笑い方だ。こういうのをアルカイックスマイルと言うんだろう。口元だけが歪んだように引きつり、眼だけは笑っていない。
「何にせよ、きちんとしたアリバイがある以上、問題はありません。ご協力ありがとうございました」
 刑事達は、念のため、と言って上原さんの連絡先を書きとめて帰っていった。
 次の日も、そのまた次の日も、俺は仕事が手につかなかった。あの刑事の笑い方が、頭から離れないのだ。証拠がないとはいえ、あの刑事達は俺を疑っている。令状がとれれば、すぐにでも家宅捜査に来るだろう。
 あれからずっと、誰かに尾けられてるような気が、いや、気のせいじゃない。絶対に尾けられている。電車のガラスごしに、じっと俺を見ていたり、スーツにサングラスといった男が、車の中から様子をうかがっていたり、必ずと言っていいほどそんな奴が近くにいる。多分、物的証拠を探しているんだろう。
 唯一の証拠は、俺が肌身離さず持っているこの時計だ。これが見つからない限り、警察は俺を捕まえられない。だが、もしも万が一、落としでもしたら……。
 日付入りの懐中時計。滅多にあるもんじゃない。このまま持って歩く方がいいか、それともどこか、安全な場所に隠した方がいいか。だが、絶対に見つからない、安全な場所なんて……。
 十月二十一日。俺は会社が終わると、真っ直ぐにあの骨董屋へ向かった。刑事達が、俺のいない間に家に来ても分かるように、真美には店にお見舞いに行くと言ってある。後で奴らが来た時に、運良く見つけてくれればいうことはない。
 そう、木の葉を隠すには森の中、と言う諺があるように、骨董品を隠すには骨董屋が一番いいのだ。あれだけごちゃごちゃした場所だ。さりげなく、何かの後ろにでも置いておけばわからないだろう。これ以上の上策はない。あの時計が欲しければ、今度はきちんと金を払って買えばいい。俺の嫌疑も晴れるし、時計は見つかる。一石二鳥だ。
「あ……っと……」
 曲がり角まで来た時、また、右膝が痛んだ。周りの時間は戻っても、自分の時間は戻らないらしい。前に、女子高生とぶつかったときに痛めたところだ。こりゃあ、きちんと医者に診てもらった方がいいかな。もう、そんなに若くないだろうし。
 店まであと少し、といった所まで来た時、店の主人が出てくるのが見えた。警官の一人でもいるかと思いきや、相変わらず誰もいないらしい。
「おや、久しぶりですねぇ」
 主人が大きめな声を出したので、俺は小走りに通りを突っ切ろうとした。
 がくん、と目の前が反転し、アスファルトが見えた。右膝の痛みに顔をしかめながら、やっぱり医者通いだな、と思う。
「斎藤さん、早く!」
 主人の声に振り向くと、軽自動車がすぐそこまで迫っていた。
 慌てて立ち上がろうとするが、膝が痛くてままならない。ようやく道の端まで這っていった時、フロントガラスに見えたのは、居眠りをしながらこっちへ突っ込んでくる青年の姿だった。
 ……後は、どうなったのかなんて分からない。分かるのは、体の感覚がない、という事と、主人が冷ややかな目つきで俺を見ている、という事だけだ。
「……この事故で、全て分かりましたよ……。私は言った筈です、約束を守らないと恐ろしい目に遭うって……」
 ど、どういうことだ!?
「本来の十月二十一日、あなたは娘さん夫婦を亡くして生きる希望もない、と私に相談しに来たんですよ。ま、あなたにとっちゃもう、記憶はないと思いますがね。あんまり気の毒なんで、私は好意で時計を差し上げようと、ギリギリ九月二十二日まで時間を戻しました。でも、無料であげると言ってもあなたは信じないでしょう? だから、五百万なんて言ったんですよ。それなのに、あなたはお金を持ってこなかった……」
「そ……れは……」
 俺は声を振り絞って反論しようとした。
「分かってますよ、持ってきたけど私が信用しなかったと言いたいんでしょう。何度も聞きましたからね。私も何度も言いますけど、あなた、私が信用するまで説明すると言ったじゃないですか。そうすれば、この事故だって避けられたのに……」
 主人は俺をじっと見下ろしたまま、動こうとしない。俺を助ける気がないのか!? このままでは死んでしまう! ……時計……! 時間を戻せば……!!
 カキッと時計の蓋が開く音がした。何とか顔を上げると、主人が時計を持っているのが見える。
「た、頼む……時間を……」
「あなたのおかげで、私は十月二十一日から、この事故から先へ行けないんですよ。もう情けをかけるのはやめにします。あなたがこの事故で助かるのか死んでしまうのか、それは分かりませんが、もし助かったならその時に、きちんと時計をお譲りしましょう」
 主人はクルリと背を向けると、店のほうに歩いていく。
 そ、そんな!
「……つ……ぎは……かな……ず……約そ……守……か……ら……」
 俺はまだ、やりたいことがたくさんあるんだ! こんなところで死にたくない!
 叫びたいのに、体どころか口までいうことをきかない。
 その時、主人は一度俺の方を見ると、
「そのセリフも、もう聞きあきました。……車の方もいるから、救急車は呼んでおきますよ。
それでは、よい時間を……」
 そう言ったかどうか、俺にはもう、何も分からなかった……。


                                           終