『時計』   1 | なんちゃって作家の青息吐息
 それは馴染みの骨董屋での事だった。馴染みとは言っても、まだ五、六回来た程度だったが。ただ、いつ来ても客がいないため、必ず一、二時間は話し込んでしまう。店の主人はそろそろ七十を越えるだろう思うのに、二十ほども年下の俺となぜだか妙にウマがあってしまうので、昔からの常連のような雰囲気になっていた。
「斎藤さんだから打ち明けるんですけどね」
 いつものように、店の品物を見ながら三十分ほど話した頃だった。白髪も随分と薄くなっている主人は、奥の方からうっすらと埃のかぶった小さな桐の箱を出してきた。
 ビッシリと詰められた綿の中から取り出したのは、ところどころくすんではいるが、銀色の楕円形の物だった。
「それは……?」
「懐中時計なんですがね」
 そう言うと、店の主人は時計の蓋を開けてみせた。
 片手に収まるほどの大きさ。外見は最近の物とそう変わりはない。
「いつ頃造られたのか、どこの国の物なのか、はっきりしないんですがね、かなり昔に造られたはずなのに日付け入りなんですよ」
「へえ……」
 骨董品は好きだが、時計に関してはほとんど知識がない俺は感心して主人の手の中を覗きこんだ。
 時計の中心の右隣、真横に小さな円がついていて、その中を小さな針が回っている。どうやらこれが秒針のようだ。さん三しんこ針小びょうしん秒針どけい時計というやつだろうか。そしてその円の下に日付があるのだ。時計の上部には、かつてはもう少し長さがあったろうと思われる同色の鎖がほんの十センチ程、申し訳程度についていた。
「斎藤さんなら、コレをお譲りしてもいいと思いましてね。……どうです、きっかり五百万という事で」
「ご、五百万……!?」
俺は主人の言葉に呆然とした。いくら珍しい懐中時計とはいえ、マニアでもないこの俺に五百万円とはふっかけすぎだ。
「高いですか? でも私の話を聞けば、安いと思いますよ」
 主人は、自分たちの他には誰もいないはずの店の中で周囲を気にするように声をひそめた。
「実はこの時計、時間を戻すことが出来るんですよ」
 耳を疑うような言葉が聞こえる。
「まさか」
「私も初めはそう思いましたがね。何の知識も持たなかった私が今、こうして骨董屋をやってこれたのは実はコレのおかげなんです。……買い取りに失敗したり、売った直後にとてつもない値打ちが出たり。そんな時は時間を戻して……なるべく失敗しないようにしてきたんです」
 あまりに突拍子もない話だったが、仮にそれが事実だとしたら、思い通りの人生も夢ではない。三年前からの不景気が何の進展もない今、会社はこぞって役員の首を切り、賞与、給与は物価が上がっているというのにスライドしていかない。家庭では女房が、金がないだのなんだのとブツクサ言い、かといってパートで働く場所もない。こんな世の中に、そんな奇跡を起こす代物があったら……。
「でも、どうして俺なんかに……」
 主人の言っている事が事実ならば、いくらでも値がつけられるだろう。一千万でも二千万でも、いや、一億だって出す奴がいるに違いない。
 そんな俺の思惑に気づいたのか、主人は言った。
「お金じゃないんですよ。そりゃあ、お金持ちや政治家の人に売れば、かなりの大金が貰えるでしょうがね。でも、そんな世の中を動かす人達の手に渡ったらどうなると思います?ただでさえ不景気なのに、それこそ本当に日本は、いや世界が破壊してしまいますよ」
 また、大げさな……。いや、そうでもないか。私利私欲の為、他人はどうなってもいい、という輩はたくさんいる。
「私はね、私利私欲でもいいから、夢のある人に売りたいんですよ」
「夢……ですか……」
「斎藤さんは、確か一年前に奥さんを亡くされたって言ってましたよね。さすがに一年も前じゃどうしようもないですけど……」
「そんな事も出来るんですか!?」
「出来ますよ。でも、一年前じゃ……」
「時間を戻せるんでしょう!? だったら……!」
 俺の妻は一年前にガンで死んだ。まだ四十二歳の若さだった。あちこちの医者に診てもらったが、どこでも結果は同じだった。
 ――手遅れです……。
 俺は、仕事ばかりであまり家庭を顧みなかった。いや、そうではない。仕事を一番にしているのが、家庭の為だと思っていたのだ。だが、実際は違った。一人娘である真美は、今でこそ結婚もして、子供も出来たからうまくやっているが、反抗期のときは大変だった。妻の美砂子もそんな俺に気を使って、調子の悪いこともなかなか言えなかったのだろう。俺は夫としても父親としても失格だった。
「日付がね、一ヶ月分……でしょう?」
 主人は言いにくそうに口に出した。
「……あ……」
「一ヶ月までの時間だけが、自由に使えるんです」
 それだけでも悪くない話だ。だが…。
「斎藤さんなら、これを夢の為に使ってくれる、そんな気がしたんです」
「俺だって俗物ですよ」
「あなたは人を陥れるような人じゃない。それは信用できますからね」
 たかが五、六回会ったくらいで信用したというのか。俺はそんなにおめでたい奴じゃない。大体、その時計の話だってこの目で確かめたわけじゃないからな。この店の主人が、俺を騙そうとして話をでっちあげたとしてもおかしくはない。
「でも、やっぱり俺には五百万なんて、とてもじゃないが出せませんよ」
「……そうですか……」
 やんわりと断ると、がっかりとした顔で俯く。やっぱり作り話じゃないのかな、と俺は思った。
「じゃ、俺はそろそろ……」
 何となく気まずくなり、そそくさと店を出ようとした俺の背中に、主人は未練がましく言葉を投げかけた。
「三日たったら日付を昨日に戻します。気が変わったら、三日以内にまた、来て下さい……!」

 よく考えてみれば馬鹿馬鹿しい話だ。少しでもそんな話を信じた自分に呆れながら、俺は早く忘れてしまおうと、そろそろ活気づいてきた一軒の居酒屋に足を運び入れた。
 店を出る頃には、辺りは既に闇に包まれていた。千鳥足の酔っ払いが家路に着く時間帯だ。俺もそろそろ帰らないと、一緒に暮らしている娘がうるさい。
 ほろ酔い気分で駅を出ると、あとは歩いても十分とかからない。我ながら、この年で都内に一戸建てのマイホームを持てた自分が誇らしかった。タクシー待ちの行列を尻目にスタスタと歩き出す。
 鼻歌まじりで家の目の前に来た時、俺はふと、妙な事に気づいた。家中の灯りが消えているのだ。
 既に寝てしまったのかと思い腕時計を見ると、まだ十一時を少し回ったところだ。いつも真美はこの時間まで必ず起きている。今の若者は夜が遅くても平気なのだ。念のため車庫を覗いてみると、車がない。そういえば、今日は圭一郎君が休みだから、家族三人で遊びに行くと言っていたな…と俺は朝のやり取りを思い出した。
 鍵を開けて家の中に入ると、ひっそりと静寂だけが俺を迎える。居間の明かりをつけてネクタイをゆるめ、ソファにくつろいだ時に、家というものは一人でいると随分と広く感じるものだなどとつい、感傷的になってしまった。もし、真美達がこの家を出ていってしまったら……。いや、圭一郎君は入り婿でないとしても本間家の三男だ。ずっとここで暮らしてくれるだろう。
 だが、なぜか不安が重くのしかかる。言いようのない、胸騒ぎがした。
 電話が鳴った。
 午後十一時五十一分。
 こんな夜中に一体誰が?
 俺は手を伸ばした。動悸が激しくなる。
 心の中でもう一人の自分が叫ぶ。
 やめろ……その電話は、取ってはいけない……!
「――もしもし……?」
『斎藤さんのお宅でしょうか?』
「はい、そうですが……」
 電話は警察からだった。
 自動車事故?遺体の確認?一体何を言ってるんだ。
 俺には相手が何を言っているのか全くわからなかった。


                                            続く