回顧録 18. でも少しだけ触れましたが、我が家にはITPで闘病中の小4の娘(この記事では長女と表現します)以外にもう一人、小学一年生の娘(以降次女とします)がいます。
姉妹はとても仲良しで、毎日一緒に学校まで通っていましたし、お互いに泣いたり手を出したりするような喧嘩はしたことがありません。
お互いにとってベストフレンドのような存在の姉妹です。
こんな仲良し姉妹なので、長女の入院は次女にとって大きなショックでした。
最初に現れた変化は長女の入院の翌日で、まず「一人で学校に行きたくない!」から始まりました。
一人で学校に行くのは寂しいのだそうです
結局、長女の退院まで、私は毎朝次女の小学校まで一緒に歩いて行くことになりました。
続いて現れたのは、「言えない!ストレス」です。
長女の入院に関する情報は、小学校の先生止まりで、子供たちには何も伝えられていませんでした。
長女自身が、秘密にしたいと強く希望していたからです。
ですが、好奇心旺盛な小学生。矛先は一瞬で次女に向かいました。
次女の話によると、
「おねえちゃんどうしたの?」
としょっちゅう聞かれるようになったのだそうです。
この対応には苦慮しましたが、まずは話をじっくり聞き、
「おねえねは疲れてるから家にいるよ」とか
「ちょっとお休みしてるだけ」とか
今思えばなかなか微妙なアンサーですが、その時に思いつく最良の回答と思えた回答を一回毎に考えていました。
長女が2か所目の病院に転院になったころ、
ドタバタの中で次女の誕生日を迎えました。
次女は、直前まで
「おねえねが帰ってくるまで誕生日パーティーやらない」
と言っていたのですが、当日になると
「やっぱりちょっとだけケーキが食べたいな」
と本音をもらしました。
結局、誕生日の当日は、旦那と次女でケーキを買いに行き、大好きなお菓子でケーキをデコレーションして
私が病院から帰宅する21時過ぎを待ち、3人でケーキを食べました
ケーキを食べ終わると、次女はとても満足そうな笑顔を浮かべていました。
長女の入院中、こうして次女の要望には極力寄り添うようにしていました。
家に居られる時は、極力次女と話すようにしていました。
小さな変化も見落とさないよう、注意深く次女を見ていました。
学校と連携し、たくさんの大人が次女を見守りました。
こうして、なんとか長女の退院まで、次女のメンタルをキープすることができたように思います。
病気の長女はとても辛かったと思いますが、患者家族である次女も、今回の入院中はとてもつらい思いをしていました。
病気になると、つい「患者さん自身」「病気自体」にスポットがあてられがちのように思いますが、患者さんには生活があり、患者さんの生活に関わるたくさんの人がいて、そのような人達にも多大なる影響が及んでいきます。
とてもシンプルなことですが、私は、自分が経験するまでこんな重大な事に気づいていませんでした。
次女に対して当時十分なフォローができていたか?と問われると、決して100点満点とはいえない対応だったと思いますが
これから子供の入院が控えている方やそれ以外の方でも、このブログが何かの参考になればとてもうれしいです