旧浜猿払小学校は現在資料館となっています
郷土・歴史文化物等の展示を行っていますが先週末一般公開となり猿払の歴史に触れる
良い機会となりました。
猿払村と言えばホタテ漁と酪農ですが、昭和30年~50年代の
写真や資料が展示してあります。
昭和初期まで、船は帆を立て風の力で海底を鉄製の熊手のような道具を引いて
ホタテを採っていましたがその後動力船となります。
漁村の風景猿骨川河口付近ですが猿払川と猿骨川の河口は当時繋がっていました
今とは風景が違いますね…
これは当時の船のかじですが2mほどあります
大きな太い木から削り出しで作った様で、現在はこの様な太い木でこの様な道具を加工すると、とても高価な物になりますね…
30年代後半になるとホタテ・ニシンの資源が枯渇し漁民は貧困の時代を迎えたそうです…
昔は林業も盛んでした海岸線から森林が存在し切り放題だったのでしょう
開拓と共に森林は山奥へと後退したようです
河川は木材の運搬には欠かせない存在
大きなノコギリ、伐採、馬そりでの運搬は大変な作業だったでしょう…
酪農開拓も人馬による開拓…馬は欠かせない存在だったようです…
牛乳の集乳缶、これを馬車で運んでいました
当時は悪路画当たり前…これは猿骨川支流のエコぺ川の様です
この様な丸太の橋の朽ち果てた橋脚が現在でも確認する事が出来ます
当時は自然との闘い、
特に川は開拓者にとって脅威でした
これは水害の写真ですが…聞くところによると雪解けの増水のたびに
この様に洪水になったようです。
このころになると機械化による開拓が進み、農地が広がって行きます…
昭和50年代の鬼志別地区、高度成長期後ですね宅地・道路・河川の整備が進みます
鬼志別川の河川改修後がクッキリと右隅の蛇行が本来の流れ…
中央が人工河道 広い原野を自由に蛇行していたようですが…宅地になっています
この様な開発が有り私たちが不自由なく暮らせている…
多くの生物の犠牲を払っている事も事実、これは都会でも過疎地でも同じですね