伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 83回 後鳥羽上皇 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

基本的に毎日の更新を目指します。コメントには出来る限り返信を付けます、ご遠慮なくコメントを入れてください。

 後鳥羽上皇という人は、個人としては、たいして長くもない天皇家の歴史のなかでは、最も優秀だった人ではないかと思われます。学問は当代一流の学者を凌駕しており。馬術や騎射では北面の武者を上回り、歌道では指導者としての立場を確立して、蹴鞠ですら最高の実力を発揮するといった万能ぶりでした。個人の能力では後鳥羽に敵う者はどこにもいません、後鳥羽に比べたら北条義時などは詰まらない田舎侍に過ぎないのです。

 

 後鳥羽は高倉天皇の四男として生まれ、兄の安徳天皇が平家と共に西海へ去ったあと、平家から逃れることに成功して京に残った後白河法皇によって擁立されますが、安徳天皇が三種の神器をもって健在であったので、2人目の天皇で、それも三種の神器なしの即位でした。

 

 平家が滅びたあと、神璽と神鏡は取り戻しますが、神剣は海に沈んで出て来なかったので、帝徳に欠ける天皇であるという引け目が付いて回りました。それを克服するべく個人的にも努力をして、文武の個人芸で秀でた存在になったのです。

 

 後白河の死後、天皇家の惣領となり、所謂治天の君となります。院政を開くと京の政権を掌握しますが、鎌倉幕府が成立しているので、かつての白河法皇や鳥羽上皇のような権力を手にすることはできません。地方には守護地頭が設置されていて、国衙領の年貢も荘園の年貢も先に押さえてしまうので、京に入って来る年貢も激減しており、白河法皇や鳥羽上皇のように自分のための道楽寺院を建立することもままなりません。

 

 北面の武者に加えて西面の武者を設置する、大番役で在京している武士たちを抱き込む、刀鍛冶に菊の紋が入った刀を打たせて、味方になりそうな武士たちに与えるといったことをやって自らの武力を整えます。後白河が何度も挙兵に失敗して無様に押し込められたのは自前の武力を持っていなかったからだ、自分は武力を持つのだという意思が感じられる行為ですが、そうやって作った武力は総勢で3000人ほどのものでした。

 

 機会を待っていたら、3代将軍実朝が殺されて、暗殺犯である頼家の子の公暁も殺される事態になって、自分が4代将軍になることができない北条義時は、後鳥羽に対して、次の将軍にしたいから子どもの1人を鎌倉に下向させて欲しい、と頼んで来る事態になりました。

 

 子どもを鎌倉に送るのは自分から北条義時に対して人質を差し出すようなものですから、後鳥羽が承知するはずがなく、鎌倉が将軍を失った今が絶好の機会であると後鳥羽は討幕を決意します。