老人追っかけ時代 | ブリーフ&トランクス 伊藤多賀之オフィシャルブログ「ホルモンは飲みにくい」Powered by Ameba

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【ブリトラ】ブリーフ&トランクス 伊藤多賀之オフィシャルブログ「ホルモンは飲みにくい」Powered by Ameba

今日はブリーフ&トランクスでデビューした日。
1998年「さなだ虫」が世に解き放たれた日です。
あれから14年経ちました。

14年といえば、僕が14歳だった中学生の頃、
友達みんながバンドものにハマっていた中、
僕はクラシック音楽ばかりを聞いていました

部活から家に帰ると、
好きなベートーベンやブラームスのCDをプレイヤーにセットし、
部屋の電気は豆電球のみにし、
第1楽章から第4楽章まで、プレイヤーに向かって真剣に、指揮棒を振っていたという、
そして、曲が終わった後は、後ろを向いて一礼し、心の中で勝手に「ブラボー!」と言われている気分に酔いしれるという、あぶない少年でした(笑)。

クラシックは、指揮者や楽団によって、音も全然違うし、スピードも全然違う。
指揮者の解釈によって、例えば「運命」のジャジャジャジャーーーーンを、異常に長く伸ばす人や、すごく速くあっさり終わる人もいて、その違いを聴き比べるのが好きでした


結果、僕が一番好きだったのは、カラヤンという指揮者で、楽団はベルリンフィルでした。
「運命」のジャジャジャジャーンはあっさり短く切るタイプでスピード感溢れる演奏でした。
あとはフルトベングラーという古の指揮者も好きでした。


ある時、地元伊東市に、ベルリンフィルの中から厳選された8人が来る事になり、おこずかいを貯めて、見に行きました。
終わったあと、楽屋付近でうろちょろしてたら、
「入って良いよ!」みたいに、ラッキーな事に関係者の方が楽屋に入れてくれまして、サインもたくさん貰えまして、それはそれは興奮したのを覚えています。


でも一番ビビったのは、演奏中、ホルンの人が、ときどき楽器の中に溜まった唾液を床に捨てるのですが、それがビックリするぐらい滝のような大量の唾液で、しかも途中で何度も何度もやるので、ぶっちゃけ演奏よりも、そのホルンの人(確かゲルトザイフェルトって人)の唾液の分泌量ばかりが気になった思い出ともなりました(笑)。終演後、床ベッタベタだっただろうなあ


でも、初めて生で聞いたクラシックは最高でした。
次の日、渋谷のオーチャードホールでも公演があるとの事で、
もう一回見たくて見たくてたまらなくて

部活を仮病で休んで、ソッコー家に帰り、
親に内緒で、僕の学費などが入った貯金口座から、親に無断で2万円を引き出し、
食卓のテーブルに「お母さん、ごめんなさい。渋谷にコンサート見に行ってきます。お金おろしてしまいました。でも帰って来たら、今までの何十倍も勉強するから、どうか許して!たかゆき。」みたいな書き置きをして、友達と行ってきました。
伊東市のような田舎から、中学生が無許可で東京に行くなんて、完全に「家出」行為であり、
やってはいけない事をやっている自分が怖かったですが、気持ちは止められませんでした。

しかし、一番の問題は、鬼のような母の存在。帰った後は、もう死ぬ覚悟だったのですが(笑)、
ベルリンフィルのためなら、殺されてもいいと思いました

そしてオーチャードホール、曲目は、前日の伊東と全く同じでしたが、鳥肌が立つってこういう事なのかと、感動しっぱなしでした。

そして終演後、楽屋付近で、中学生の僕らが70歳くらいの老人の出待ちをするという、
一瞬変な光景ではありましたが、無事に、全員と写真を撮ってもらえて、最高の思い出となりました。


それから20年が経ちました。あの時の皆さんはまだ活動されてるのかどうかわかりませんが、
確実に、僕の一生の宝となっているのは間違いありません。

僕も、僕のライブを見に来てくれる人の、一生の宝となるようなライブを毎回やりたいと、
教訓として、この老人追っかけ時代の事をときどき思い出しています。

マニアの中には、こういう少年や少女も、中にはいるかもしれませんからね。
親に怒られるの覚悟で、お小遣いを全部出して、わざわざ遠くまで来てくれてるかもしれない人を思うと、14歳の頃の自分と重なって、想定以上に、無意識に、一生懸命ライブをやる事ができるというシステムになっているわけです。

あ、そういえば、気になる結末、
渋谷から伊東に帰った後の事ですが…

鬼と化した母が包丁を持って待っているんじゃないかと、おしっこチビれる寸前での帰宅でしたが、
意外や意外、母は笑顔でした。「よかったね」と。

そして、僕は約束通り、10倍勉強しました。そして、目指してた高校に入学できて、そこで偶然ブリトラも結成できました。
あの日をきっかけに、僕の人生は変わったと思います。