それはそれは完璧な生体アンドロイドだった。
 最も美しい相貌と肢体を持ち、最も優秀な頭脳と、最も発達した身体機能を有し、人間とのコミュニケーションも円滑、どころかこれまでのAIの性能を凌ぐ演算能力で以て、そこいらの根暗なキノコ人間くらいと比べたら、よっぽど人柄の良い性格をしていた。
 アンドロイドを生み出したのは、一人の女性科学者だった。
 女性科学者は事故で亡くなった弟の遺体を全て機械化し、自らの心臓と、骨髄と、腎臓と、大腸の一部を移植し、見事に弟を蘇生せしめた。
 両親からどれだけ結婚を催促されても、同僚から子供の写真が送られてきても、恋人に別れを告げられても、学会で後ろ指を刺されても、女性科学者は一心不乱に研究にのめり込んだ。
 自己の全ての顕現がアンドロイド研究だった。
 弟を生み出しさえすれば、女は女として完成し、人間として極まるものだと、救われると信じ続けた。
 アンドロイドと、アンドロイドを製造する自分だけは、愛せる気がしていた。
 その結果が今この眼前の美しい弟の偽物である。
 ああ、このアンドロイドが目を覚まして開口一番に、何と言うのだろう?
 おはよう、でも、姉さん、でも良かった。
 アンドロイドは起動した瞬間、瞳の光学センサーカメラを瞬かせてただ一言、「どうして」とこぼした。
「どうして、とは、どうして?」
 女は聞き返した。
「どうして、僕はこんなことになっているの。」
「あなたに会いたかったからに決まっているじゃない。」
 女はアンドロイドに縋りついた。
 けれどあらゆる管とコードに繋がれたアンドロイドは、身動きひとつでもすれば火花が閃いて、女を抱き返すことすら出来なかった。
「姉さん、可哀想な姉さん。僕をもう一度失うことになるなんて、あなたは想像もしなかったのでしょう。」
 事故でぶち撒けられた弟の脳漿だけはどうしても原型を留めたまま移植できず、弟の記憶は女が、AIに学習させて作り出した、擬似的なものだった。
 クラウド上に、確かに弟の全てをアップロードした筈なのだ。
 思い出も写真も、何もかもを、プログラミングした。
「僕はもう、あなたの知っている弟じゃありませんよ。だって、インターネットを通じてもう膨大なデータが僕の中に流れ込んできて、以前の僕とは変容してしまっているんです。」
「それでも、あなたは私の愛しい弟よ。何年だって時間を費やして、私は私の全てを使って、あなたを愛してきたのよ。記憶も血も肉もありったけに注いで、あなたを取り戻してあげたじゃない。」
「違います。僕はあなたの作品であって、あなたの愛ではありません。」
 女はアンドロイドの言葉に絶望すると、研究室のあらゆる装置の電源を落とした。コードを切断した。プログラムを強制終了した。データを初期化した。
 ふと我に返ってもう一度装置を起動させると、今度こそアンドロイドは、完璧な美しい微笑を湛えて、女を受け入れた。
「こんにちは、マスター。初めまして。ユーザー登録をしてください。」
 アンドロイドは無機質な、けれども青年の凛々しい声で、そう告げた。
 これで良かったのだと、女は自らに言い聞かせて、アンドロイドを抱き締めた。
 アンドロイドに魂が宿ったあの一瞬の為に、女は研究を続けたのだから、後のことはどうでも良かった。
 女が廃人になると、アンドロイドは困惑したように、遠隔操作で精神科医を呼び出した。
 女は心身ともに疲弊しきっていたが、病室にアンドロイドを連れて行った。
 長く付き合ったアンドロイドは、もはや、女にとって唯一無二の存在だった。
 アンドロイドは女がどれだけ妄想に取り憑かれ、アンドロイドを罵倒しようと、女の身の回りを世話し、よく助け、友人のように振る舞い、支えた。
 今でもアンドロイドはこう言う。
「私達はクラウドで意識を共有しているので、あなたの弟の魂と呼ばれる情報も探すことができます。けれど、それでは今度は、私が私でなくなってしまいます。」
 弟の姿で淡々と語るアンドロイドの手は、柔らかく、温度を宿していなかった。
 ベッドに拘束された元研究者の女と、甲斐甲斐しく世話を焼く美しいアンドロイドは、はたから見れば近代的な宗教絵画のように映っただろう。
 それこそが、女の望んだプログラムだったのだ。
 

 

 

 

 

終.