2025.11.16
ゲームのサントラ聴きながら、電車の中で日の出を見るのも悪くねえんじゃねえかって思う。
終電逃したっつうか、いい歳こいて相変わらず電車乗り間違えて、還暦の親を心配させてるクソザコ三十路だけど、悪い日だったかどうかって訊かれるとそんなことない気がする。
どうせすぐ出るしと思ってネカフェでは寝ないつもりでゲームの実況動画見て、ソフトクリームとか食ってた。飲みの後の糖質の旨さは異常なんだから。
暦の上ではもう冬らしいので、朝日は全然見えてこない。さっさと登れよ朝日。
メイクを落としたので男のフリしてすまし顔している。すると面白いことに、途端に隣の席に女の人が座らなくなる。隣に女の人が座ってくると逆に許された気になる。男性が抱える得もいわれぬ罪悪感のようなものを久しぶりに味わった。
隣に座っている女の人は多分夜勤明けのコンカフェの店員さんとかだろう。やけに化粧がしっかりしている。みんな同じようなファッションをしている。どこのファンデか聞いてもいいすか。
対して私はネカフェでシャワーを浴びてすっぴんである。タオルがないことに気付いてドライヤーで全身乾かしたのは、なんか、たまにあることのような気がする。アメニティで化粧水を貰ったのがせいぜいというか、せめてもの、という感じだ。
だんだん顔が兄に似て厳つくなってきた気がする。流石に加齢か。と、電車の窓に映る自分の顔を見て思う。夜はまだ長い。ふとスマホの時刻を見ると、4時44分だった。昔のゲームではよく4時44分に起動したり、特定のアクションを起こすとホラー演出があったりしたものだ。ああいうのはやっぱりお遊びで入っていたんだろうか。
そういえばこの頃はめっきり、ゲームの都市伝説も聞かなくなった。単に私がオカルト板を覗かなくなっただけか。
聞いた話では、都市伝説は新技術が生まれるとそれに必ず付随して発生するらしい。要は、みんな新しいものが怖いのだと。
ところがスマホで何もかもが検索できるようになり、暴かれるべき未知なる神秘というものが無くなって、人々は信心を失った。
その代わりに、身近な死を感じやすくなったのではないだろうか。明日も飯がちゃんと食えているんだろうか、みたいな。
死ぬのが当たり前になったから、人は信仰を捨ててしまったのだと思う。歴史に見る死の具象化はおしなべて「信じれば死から救われる」という観念だ。そういう意味では現代人は死を克服したのかもしれない。
そうやって神秘は失われていくのに、人の恐怖だけは増大していくのだろうか。そうなると今の世代の子達は何にカルティックな救いを見出すのだろう。我々世代は、インターネット上である種、神秘や怪異を茶化して、そういった不安を誤魔化していた気がする。今度若い子に聞いてみよう。多分それが今はSNSとか推しなんだろうけど。まさしく偶像崇拝だ。
なんか虚しいな。スマホって虚しい。明けない冬の空だ。いつまでもどんより停滞している。
これが人間が望んだ空の色なんだろうか。