その日は夜にしし座流星群が見られるということだったので、私は静と一緒に、鳥山の八幡神社の裏山に登ることにした。
神社にある滝から漏れ出る川水で、いつも薄っすら湿っている坂道をえっちらおっちら登っていって、ご神木の上を通り、古い住宅街を過ぎると、山の上の田園に出る。
横浜で花火大会なんかがあると、そこからみなとみらいの空に浮かぶ花火を遠景に望むことができるので、近隣住民にとって、開けた空を眺める為には、ここへ来るのが一番だった。
ムカデの死骸が浮かんだドラム缶が並ぶ畑道を歩いて、やっぱり湿った草の上に、私と静は腰を降ろした。
小学校前の駄菓子屋で買い込んだ駄菓子を摘みながら、ぼんやりとその時が来るのを待った。
排気ガスで汚れた横浜の空に、星が浮かぶことは殆ど無い。
六、七月は鬱陶しい雨が続くので、天の川というのも、私は見たことがなかった。
それで、静は、流星群を見に行こうと言い出したのだった。
秋口に差し掛かって、ようやく涼しくなってきたので、私も外出することが億劫ではなくなって、しかし、わざわざまともに見られるものでもないだろうと半分諦めながら、静に手を引かれてやって来た。
深夜になってくると流石に冷え込んできて、二人で錆びた自販機から温かい飲み物を買って、またじっと夜空を仰いでいた。
私がもう帰ろうか、と言い出そうとしたまさにその時、遠くの空でひとつの星が瞬いた。
地球の縁をなぞるように弧を描いて、星は潜水するように、また闇夜に消えていった。
そうすると、次々と同じように星々が閃いては、星空の海に眠って行った。
それは暗く、遠く、儚いもので、期待していた流星群とはずいぶんかけ離れた光景だった。線香花火のほうが、まだ見る甲斐があるというものだった。
それでも隣の静は、その景色を目に焼き付けようとして、微動だにせず、夜空に釘付けになっていた。
「あなたも見ておいたほうがいいよ。」
「どうして。」
「だってね、あれがあたし達がこれから見送る時間のひとつひとつなのよ。」
「そうかい。」
「忘れないようにしておかないと、勿体無いでしょう。」
静は溜息を吐いて、頬杖をついた。
「あれがお父さんで、あれがお母さんで、あれがお姉さんで、あれが留美ちゃん。今、流れたのが月子ちゃん。それから、次に流れるのが孝弘くん。」
静は星の軌跡を指でなぞりながら、家族や友人知人の名を口にした。
「流れが早過ぎる。私にはついていけないよ。」
私は静の指が忙しなく動くのを横目に見ながら、駄菓子を口に放り込んだ。
「でも、覚えておくことはできるでしょう。」
「寂しいよ。手も届きやしない。」
「でも、名前を付けて、見送ることはできるでしょう。」
静は私に言い聞かせた。
私も静に倣って、星々を人々になぞらえて、その短い輝きを追った。
「まだ名前のない星もあるのよ。」
「そうかい。」
静が随分嬉しそうに笑うので、私もつられて口角を上げた。
薄墨で塗りつぶしたような曇天に、星が落ちていく。私にはどうすることも出来ない事実だった。
どんな魔法を使っても、今この時間を止めておくことは出来ない。
その真実に打ちのめされそうだった。星々をいつまでも捕まえて、抱えて、同じ時間の中で生きていきたいけれど、それは叶わない。
叶わないものを突きつけられて、いつまでもじっとしているのは、耐えられなかった。
「静、星を取ってよ。」
「だめよ。」
静は私を諫めた。
静も私も、本当はその手段を知っている。一度、生きた星を手にしたこともあった。けれど、星は近付きすぎると、その輝きに身を焼かれてしまう。
焼き切れた星はぼろぼろの砂屑になって、掌から零れ落ちていく。そうして、最初からこんなことしなければ良かったと思うのだ。
「夜明けが来るまでに帰らなきゃ。」
「そうだね。」
私は流星群の観測も疎かに、帰りの支度を始めた。静も、それに倣う。
朝日は私達の皮膚を灰にしてしまうので、影が生まれぬ間に、私達は夜の世界に帰らなければならない。
私達は散らばった駄菓子のごみを片付けて、また、ドラム缶のある畑道を横切った。
人気のない深夜の神社に降り立って、しばらく境内に居た。
雨風に吹き晒されて苔むした狛犬が、今日は随分、必死になって石台に憑りついているように見えた。
手水舎を覗き込むと、僅かに流星の煌めきが映り込んでいた。
幾万光年離れた先の輝きが、有機物にも、無機物にも、等しく届いていることが確認できた。
私はその様子に少しばかりの安心を覚えた。
御神木と竹林の陰に隠れた神社は、きっと何世代も前から、あの流星群を見送ってきたのだろう。
竹林の奥では、何かが騒めいている。
私はその得体の知れぬ者達も、同じ熱狂にさらされているのだと知って、心地が良くなった。
私達は早々に、あの竹林の奥の得体の知れない者達の中に帰ることになる。
それは悲しく、もどかしいことだが、そうやって生まれたからには、そう成っていくしかないのである。
私は静に目配せをして、手を繋いで坂道を降った。
終.