忘れかけていた鼻歌を口ずさんだ折にふと、若い頃、ある声優さんにハマっていたことを思い出した。
名を鈴村健一という。
同世代にとっては、主役級のキャストとしてよく声を聞いていた声優さんの一人だろう。ジャンプやガンガンのアニメ化、ドラマCD化で、彼の名を見ない時が無かったほどだと思う。
当時テイルズと仮面ライダー電王のオタクをやっていた私は、唯一、鈴村さんだけを所謂“中の人”としてではなく、今でいう“推し”として応援していた。何を隠そうセネルとリュウタロスのせいである。
勿論、行動力も金も無い上に、広場恐怖を抱えてロクに外出できない学生に、芸能人の追っかけをする余裕なんて無かった。
まだ漫画やアニメのサブスク配信もなく、オタク関連のCDはアニメイトでしか買えなかった。
それでも私は時間とお金の許す限り、鈴村氏の音楽CDや、氏が出演したラジオCD、アニメのDVDやドラマCD、更に氏が番組内で制作したコントCDなんかも片っ端からチェックしていた。シチュエーションCDだって聴いた。
どれもが好きだったわけではない。もちろん、彼の名前があっても、退屈な作品はたくさんあった。
けれど、私は鈴村氏の声と、何より鈴村健一という人間が好きだったのだと思う。
いつも明るく、到底女性向けコンテンツを意識しているとは思えない明け透けなトークを関西弁混じりに喋る鈴村氏の姿を見るのが好きだった。
当時発売されていた『intention』というマキシシングルのタイトルが今も氏が経営する芸能事務所の名前になっていることも知っている。
青や白を織り交ぜた爽やかなカラーリングのPVは、まさしく鈴村氏の声にぴったりだと思った。
その前後に発売された、『新しい音色』というマキシシングルがあった。
曲自体は何の変哲もない、ありきたりなポップスだ。一応、黒須さんといえばこれまた同世代のオタクにはお馴染みの作曲家さんではある。だからこそ、耳馴染みが良く、体を通り抜けていくような曲だった。
けれど今、この曲の歌詞を思い出して、私は彼のことが好きでよかった、本当に大切な時間だったんだと思い返した。
“出来過ぎの僕たちは身を躱すばかり ヒット作の続編に似た お約束の塊で
「僕は僕で 君は君だ」 盛り上げるセリフも 価値観をうまく使った手品みたいだな”
“ひとつになんかならなくていい 遮断してんだろ ガラス扉で 見えてんのさ上辺の形は だけど音は聞こえない”
歌詞全体を見れば、多分恋愛ソングなのだと思う。広義では人類愛かもしれない。みんなでちゃんと繋がり合おう、みたいな。
当時は普通より少し変わっているな、くらいに思っていた。意味深な言葉がぎちぎちに詰め込まれていて、まるで不格好にさえ見えた。
でも私は、このありきたりなフレーズに乗せられた鈴村氏の詞に何故だか凄く惹きつけられ、決してカッコイイ音楽ではない、まして一音聴いただけで声優の声だと分かる楽曲で、大っぴらに聴くのは恥ずかしいものだと思っていても尚、コンポの再生ボタンを押す手を止められなかった。
自分でも言語化できなかったし、実際、当時は誰もこの歌の良さに共感してくれなかった。
けれど今になって見ると、当時の私は、この“なんか変かも”と思う箇所に、自分と鈴村氏の共通点を見出して、少しだけ居場所を貰って、勇気づけられていたのだと思う。
凸凹な言葉が散りばめられているように感じたのも、氏が伝えたかったことがぎゅうぎゅうに詰まっていたからなんだろう。必死に選んでくれたからこそ、情緒のじょの字すら持っていなかった私の心にさえ届いたのだろう。
十代の私は、ようやく『自分は普通じゃない(悪い意味で)』と自覚して、必死に自分という存在の定義やカテゴライズを探して、躍起になっていた。
ジェンダーもセクシャルも、発達障害や自分という人間の特異性にも、当時はまだ名前があることを知らなかった。
そこへ、ようやく共感できる感性を持った大人として登場したのが、鈴村氏だった。少し斜に構えたような詞のひとつひとつは、どんなお為ごかしの歌詞よりリアルな人間の世界に思えた。
きっとこの人も、少なからず自分と同じものを見ているんじゃないかという、希望を持つにはじゅうぶんだった。
私は分からないなりに氏のメッセージをしっかり受け取って、背中を押されていたのだ。
そのことに気付くのに、実に15年経ってしまった。
烏滸がましい話ではあるが、今の私は商業ではない場所ではあるものの、同じようにメッセージを伝える立場にある。
私はずっと、私と同じような悩みを抱える誰かに対して、「君のことを知っているよ」というメッセージカードを掲げて、ずっと書き続けている。
君のことを見ているし、君のことを知っているし、君と同じヒトは確かに存在している。
だったらもっと見られる努力をしろと思うかもしれんがね、俺と同じようなヤツは大衆向けのモンなんか見ないんだよ。分かったかね、キミ。
まあとにかく分かったのは、私に渡ってきたバトンの先頭は多分、鈴村健一なのだろうということだった。
下手に希望を見た分、罪深いとも思う。
でも私にとって鈴村健一は間違いなく、ヒーローだったのだ。
久しぶりに、itunesで彼の名前を検索しようと思った。
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いとぷ