つくづく自分は、自分を受け入れるのが得意じゃないんだなと思います。
ずっと過去の自分を裏切り続けて、逃げ続けているような罪悪感を抱き続けています。
一時、何かに没頭すれば焦燥感は薄れるのですが、頓服薬程度の効き目です。
根本的なところで私は、どうにもならない自分を感じているのかもしれません。
しかし現実的な、物質的な話、過去に遡ることは出来ません。
未来に向かうことは出来るので、新しくやり直すことは出来ます。
だけどには多分、出来ないし、やりたくないという気持ちの方が強いのです。
ただどこかで、漠然と、馬鹿にされているかもしれないという恐怖があるだけです。
そう思うと、世界中の人間の体を引き裂いて、一つ一つに私のことを噂していなかったかどうかを確認したくなります。
私は所詮、誰かに認められたいだけの浅はかで、幼稚で、自分が最も蔑んでいる人種と大差ない卑小な存在だということを受け入れられないだけなのかもしれません。
父や母や兄のように、私が居ない場所で私を嘲って、否定しているのだろうという幻想に囚われ続けて、世界中の人間を信用できないまま死んでいくんだと思います。
だから私を救おうとしてくれる人も居なければ、私自身も救われたいと願っていないのだと思います。
私以外の人が、私よりも口下手で、私よりも敏感に人の温かさを感じられる感性を持っているのは知っています。
私は一見平気そうで、何も必要としていないように見えることも知っています。
ただ時々、どうしようもなく虚しい気持ちになります。
自分の体の真ん中に大きな空洞があって、私は必死にそこに向かって槍を振り下ろしたりしてみるのですが、何をやっても満たされません。
部屋の掃除などをしていると、特にそう感じます。
大量のグッズや玩具に囲まれて、手に入れた瞬間は幸福で、それをあまり大事に思ったことは少ないな、とか。
ただ「物が多いね」と言われただけで、何故か途轍もなく馬鹿にされた気がして、躍起になって思い出の物を捨てたりします。そうして、思い知ってくれればいいのにと。
私が私を大事にしない姿を見せたいんです。本当は大切にしたいのに。
でも「物が多いね」、と指摘されるということは多分、私の余裕を暴かれたような気がして、だから反抗したくなってしまうのだと思います。
私は常に追い詰められてなくてはいけない、という強迫があります。だって、楽をして生きているから。だからどこかで、重荷を背負ってなくてはいけない。
手放そうと思えば何だって手放せます。多分、本当に手元に置いておきたいものなんて無くて、私はその空洞を埋める為に、必死に無機物を収集しているのだと思います。
美しいものを見たり、手に入れた時だけ、ほんの少し心が癒されます。浅はかなことです。
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いとぷ