LGBTとか自称しておきながらその辺に全く触れてすらいなかった。いとぷです。

 真面目に文章を書く気になったので、自己紹介がてら自分のセクシャリティについて話していきたいと思います。

 

 まずこれを読むに当たって、私のことなんかよりもまず大前提としてこれだけでも覚えていってくれ、というコトを最初にババっと書いていきます。

 あ、でも専門家じゃないから間違ってたらスミマセン。

 

 その①

 ・人間には、身体の性別、心の性別、表現したい性別、といった自己の性別がある。

 

 その②

 ・人間には、好きになる性別と、セックスが出来る性別、という相手に求める性別がある。

 

 その③

 ・①とは別に、②の時でそれぞれ自分がそうでありたい性的役割がある。

 

 その④

 ・これらに一貫性は無く、複雑に入り組んでいる

 

 その⑤

 ・れら全てはいつ変わるか分からない。

 

 

 

 …これくらいでしょうか。

 要は、人間は本来4つくらいのジェンダーアイデンティティを持っていて、自分はノーマルだ・ストレートだ、と感じている人は本当にたまたま全てが都合よく合致しているか、あるいは抑圧されて気付いていないかということで、完璧に全てが二元論で済ませられる人なんか存在せんというハナシです。

 これらが複雑に、ってつまりどういうことだってばよ?というのの簡単な答えが、りゅうちぇるかなと思ったりしています。別に本人には興味も無いし詳しくもないですが、なんとなくこうだろうなあと思って、離婚騒ぎの時総スカンを食らっている姿を見て、他人事ながらちょっと同情したりもしました。

 まあ要は、オネエでも女性と付き合う人も居るし、ノンケでも男の娘風俗行くヤツも居るし、女子校の王子様だって彼氏作るし、仮面ライダーが好きなストレートの女の子も居て、プリキュアが好きなストレートの男の子も居るということです。

 実際はそれくらい簡単な話だと思いますよ。仕方ないとはいえ、当事者たちがそれをさも複雑で、複雑であればあるほど高尚な生き様かのように語っているだけだと、私は思います。

 そして、と表現されるように、誰もがキッチリと枠組みされたテンプレートの中に収まっているわけではありません。

 最近は『クエスチョニング』

 

 

 という言葉も出てきたように、『多分こうだけど確信は無い』というグレーゾーン的なアイデンティティも広く認知されています。

 アイデンティティの流動化そのものを定義する『セクシャル・フルイディティ』という概念も出てきて、

 

もう当事者でない人からしたら何のこっちゃわからん状態だとは思いますが、要はそれだけ、常に新しいアイデンティティが日々増え続けているんです。それは細分化でも多様化でもなく、そもそもの枠組みの不確かさの証左でもあるんですね。

 それに気づくのは生まれた時かもしれないし、幼稚園で他の同性を見た時かもしれないし、はたまた結婚して子育てを始めて、家庭内外で求められる性的役割と自己像の乖離に心身が疲弊した時かもしれない。私だって将来どうなってるかなんて想像もつきません。

 

 

 

 で、以上を踏まえた上で言いますと、現在の私は、Aセクシャル・Aロマンティック・Xジェンダーということになります。

 分かりやすく言い換えると、『誰とも恋愛しないし』『誰ともセックスもしないし』『男でも女でもない』という感じです。いわば孤高の存在ですね、宇宙人みたいなもんだと思ってください。

 もちろんこのアイデンティティだって、生まれてすぐに気づいたものではありません。

 幼少期から何となく自分は成長したら男になると思っていたし、でも可愛い物は好きだったし、けれどワンピースやスカートを履くことを泣いて嫌がってました。だって男だし。

 小学校に上がったら友達は男子ばっかりで、男物の服を着てたし、思春期は女子と一緒に着替えるのが嫌で体育の授業は全部サボってました。だって女の子居るし。(あくまで自分は女子だとは思ってない。)

 今でこそシャコタンデコトラみたいな体型ですが、子供の頃は割と背も高かったり発育が良かったので、着替えていると他の女の子にヒソヒソ言われるんですよね。腋毛とか胸とか。まああれは子供だから云々ていうより、親もそういう程度の低い下卑たカスなんでしょうけど。

 でも憧れている……というか、もっと仲良くなりたいなと思うのは男子でしたよ。手を繋ぎたいとかそういうのだったかと問われると微妙でしたが。

 中学校に上がってもスラックスで登校して怒られて、どうしてもスラックスがいいなら性同一性障害の診断書を持ってこいとか言われましたし。今思うとひっでえ話ですねwまさに平成。今そんなんしたら即吊るし上げっしょ…。

 でもその時、胸も潰してスラックスも履いてましたけど、不思議と、『男になりたい』という気持ちは湧かなかったんですよね。だって俺は俺って存在だし……と子供ながらに第三の性を自認していたわけです。乙女ゲームとかも普通に楽しんでプレイしてましたしね。

 自分の恋愛感情のおかしさみたいなのに気付いたのはその直後、高校くらいですかね。

 すごく仲の良い女友達が居て、この子とずっと居たい!と強く思ったんです。

 同時期に性別を男にしてSNSをやっていたら、やたら年上の女性にモテてしまった、というのもあるかもしれない。

 変な自信と、自分は男の格好をしたいんだという感覚と、家でも学校でも依存先が無かったこともあって、その子に依存するのが手っ取り早かったのかもしれない。

 真相は当時の私にしか分かりません。今AセクAロマだからといって、当時の気持ちを否定するつもりもありません。

 まあ普通にその子が男に惚れて、「こんなにイケメンでお前のことを分かっている俺が居るのに!?」というメンヘラ俺様みたいな気持ちを拗らせた辺りから、色々どうでも良くなっていった感じですね。

 ていうかこの時点から普通に性欲すら無かったので、自分の気持ちさえ殆ど分かってなかった状態でしたね。もはやただ執着してた。

 決定打になったのは専門学校ですかね。自分で言うのも何ですが、私はメチャクチャ芝居が上手かったので、同レベルで出来る男性と出会った時、コイツなら俺の相棒になってくれる!!と思ってしまったんですよね。

 相棒になりたい、家族になりたい、兄弟になりたいと本気で思いました。愛してたんですよね。

 でも所詮私はホルモン治療も手術もしていませんから、いくら偽っていても、知られれば世間的には女性でした。(当時は痩せてたので割とパスしてた。)

 ですので、当然向こうは女性扱いしますまあこの時点でもうやめとけって声掛けたいですがw、当時は何糞と思って、そんな風に見ないでくれと言い放って、尚彼の側にいようとしたんですよね。

 で、その彼というのも了承してくれました。いいヤツです。

 了承したもんだから、今度は普通に彼女が出来ます。(?) いやそもそも彼女は居たでしょうし私が抑止力になっていたかも微妙ですし何なら当時三人一緒に遊んでたうちの二人がくっついたみたいな地獄絵図だったけですが…。

 中性的で、友人で、恋愛関係にすらなれない私は、彼にとっての大事な人間で居られなくなってしまったんですね。当たり前だ、19や20なんて猿なんやから。

 それが物凄い絶望でした。どれほど大切に愛しても、恋愛の前では全ての絆が無力なんだと思い知らされました。

 だったら恋ならいいのかと思ってそっち方面でアプローチを掛けたんですが、それも当然ダメで笑 いくら綺麗でもゴリラですからね、普通に。

 あまつさえ、それを気持ち悪がられたのか、「仕事の関係で女性とあまり関わらないように言われた、遊びに行ったりするのはしばらく難しい」とダブルスタンダードを振りかざされたもので、もう完全に私は恋愛と男女、というものに懐疑的になってしまいました。

 解脱した・悟りを啓いた、とかが正しいのかもですね笑

 その後も彼女が出来たりもしたんですが、やっぱり、恋愛ってなると、どうしても「どっちかが男役でどっちかが女役」みたいなのが発生するんですよね。それのまあ息苦しいこと。

 しかも私、後になってスキゾイド疑惑が出てきまして、

 

 

他人に心を預けられることそのものが苦痛だったことにも気づきました。収穫があったとはいえ当時の彼女たちには悪いことしました…反省してます。

 

 あと芝居の稽古で男女二人一組の恋愛劇の練習、とかやる度にあまりの気持ち悪さにパニック発作を起こして、それをどう相談していいかも分からず結局無断欠席を重ねて特待生から無職に、とか色々やらかしたので、私にとって恋愛というものは、それを持っていない人間への究極のハラスメントだと思ってます。

 

 

 

 まあそんなこんなで、しがらみから解き放たれた今は、割と悠々自適ですよ。

 皆さんに知ってもらいたいのは、こういう人も居ることには居るよ、って程度の話です。

 別に配慮とかいいっすよ。分からん人には分からんし。ただ存在してるってことだけを覚えてほしいかな。

 

 長々書いたけどいかがでしたでしょうか。

 私は疲れました。多分全部読んだ人もグッタリ。

 他人を理解するのってそんくらい大変なんすよね。

 

 ははは。ちなみに「自分の周りにはLGBTも欝も居ない!」って人はそれ、「私は大事なことをカミングアウトしても良いと思われていない信用ならない人間です」ネガキャンしてるのと同じなので、気をつけてくださいね^^

 

 

 そして悠々自適とか言っておきながら有名になった“彼”の名前がチラつくたび嫌な動悸と震えを覚えて精神安定剤をガブ飲みする私でした。

 

 

 

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いとぷ