大人気アイドル育成リズムゲームIDOLiSH7は、その名の通り、アイドルたちの成長を見守るハートフルストーリーです。
しかし、その裏のテーマにあるのは、「家族」だと思っています。
共依存から脱却して対等になろうとする天と陸、互いのコンプレックスを払拭して理解し合った三月と一織、がむしゃらな紡を静かに見守る音晴、楽を焚きつけ厳しく見守る宗介、和解したセトとナギ、互いを受け入れた大和と志津雄、遠く離れていても支え合う龍之介と弟たち、悠とおばあちゃん。などなど。
家族によって救われることがある一方で、家族によって苦しめられているキャラクターも存在します。もちろん、上記の中でも、大和やナギ、和泉兄弟なんかは、家族と向き合うまでの長い間、生育環境のトラウマに囚われ続けていました。
今回はそんなアイドリッシュセブンの中でも象徴的な、「家族による呪縛」に今尚苛まれ、克服しようと足掻き続ける三人にクローズアップし、当事者として感じたことを記していきます。
はじめに。
みなさんは、機能不全家庭と、アダルトチルドレンという言葉をご存知でしょうか?
簡単に言ってしまえば、何らかの形で肉体的・心理的に不健全な状態に陥っている家庭と、その環境でトラウマを負ったまま大人になってしまい、生きづらさを抱えている人のことです。
逆に言うと、どれだけ変わった形の家庭でも、健全であれば人間は愛情を獲得し、真っ当な人格を形成できるということです。
さまざまな家族模様が描かれるアイドリッシュセブンにおいて、もちろんこれらの問題も取り沙汰されています。(というか、ネヴァ然りまほやく然り、都志見シナリオにはこういうの多いぞ…と思っている。)
まずは、言わずと知れたこの二人を見て行きましょう。
IDOLiSH7グループ内ユニット、MEZZO"として活躍する逢坂壮五
と四葉環。
逢坂壮五は財閥の御曹司として親の期待を一身に受け、厳しい教育と価値観によって育てられた、自由を知らない人間です。
家庭内での役割は、完璧な振る舞いで親や周囲に不安を悟らせまいと務めるヒーローや、彼の献身的な性格からすると、親の愚痴を聞くケアテイカーの役割を担っていた可能性もあります。
対して四葉環は、DVを振るう父親から病弱な母と幼い妹を守ってきた家庭内のスケープゴートです。また母親との死別で孤児院に引き取られたことにより、妹との別離も体験しています。さらに孤児院の中では「その他大勢の孤児(みなしご)」として、ロストワンのような扱いを受けていたことが示唆されています。
環くんが声を荒げて必死に「俺はここにいるよ」と叫ぶのは、処世術でもあったわけですね。
彼等の愛着に対する歪んだ手法と自己嫌悪、グループ内で、かつての家庭で徹していた偽りの役割を演じた途端に、何もかも崩壊させてしまう対人関係は、まさにアダルトチルドレンが抱える問題そのものです。
そして、アダルトチルドレンとして顕著な特徴を持つキャラクターはもう一人。
ヒールアイドルグループとして現在アニメ三期でも絶賛活躍中のŹOOĻより、御堂虎於。
彼もまた壮五と同じく大企業の社長の息子ですが、壮五とは逆に甘やかされ、何不自由なく暮らしてきました。
しかしそれは三男として家族中から一切の期待をされず、ただ可愛い愛玩動物のように扱われていた、意志を封じられたプリンスであったことも指し示しています。
この三人に共通するのは、何も凄惨な家庭環境だけではなく、彼等がありのままの子供として振舞えず、大人と同等かそれ以上の役割を課せられて、必死に家庭と自分を支えなければ家族として扱われなかった、という歪な自己価値観です。
ここからはややメインストーリー6部のネタバレになってしまいますが、公開された最新ストーリーより、私がこれぞと思ったシーンスのクリーンショットから彼等の性質の最たる弊害に触れたいと思います。
これ。まさにこれ。欲求があるのに、いつまでもまごまごもごもごと言い淀んでいるこの様。
“スタントを立てず、自分でアクションシーンの撮影に臨んでみたい”。
虎於が発するべき言葉はたったこれだけなのですが、虎於はメンバーやマネージャーに懇々と説得されるまでその内心を明かすことはなく、自らも上手く開示できないことに苦しんでいました。
彼をここまで追い詰めていたのは、
“怪我をしたら今後の仕事に響くから”。
“それをすれば、迷惑が掛かるから”。
“自分以外の人がやってみようと言っていないから”。
要は、“自分の中の家族が望んでいないから”。たったそれだけです。
それだけのことが、自信家で前向きである筈の虎於から、優しい好青年である筈の壮五から、無邪気で寂しがり屋な筈の環から、自己肯定感を奪い続けているんです。
家族から自分とは違う子供の役を演じさせられてきた彼等は、ずっと口を塞がれてきたも同然なのです。
実はかくいう私も、当事者と名乗った通りに、問題児の兄の陰に隠れた自閉気質の末っ子、ということで、幼少期から大人になるまでずっと、家庭内では殆ど存在しないもの・あるいは怒ったり泣いたりすることを許されない道化でした。(タコピーがTwitterで流行った時、周囲の虐待に関するあまりの対岸のフィクション火事意識っぷりにコンプレックスばりばり刺激されてたレベル。)
なので、この、虎於が自身の本音と向き合いパニックを起こすシーンに、心当たりしかありませんでした。
“言いたいのに、言えない。喉に貼り付いてるみたいに。”
みんなを信じていて、絶対に笑われなくて、嫌われなくて、きっと助けてくれる。
それが分かっているのに、言葉が出ないんです。だって虎於はまだ、家族たちからそれを許されていないんです。
歪な形で出した答えと虚像は、家族からは“その瞬間だけは許容され、愛されます”。これがいわゆる条件付きの愛情。
つまり、暗に、“それ以外は愛するに値しない”という刷り込みになります。
家族に許されなければ家に居る資格が無く、愛されず、酷い時はご飯も寝る場所も、心の拠り所も無いんです。
“望まれる姿”への絶対的な報酬と、失敗した時の多大な犠牲。これが虎於、ひいては壮五や環の恐怖の正体です。
しかしアイナナの物語ではこのあと、虎於が自身を重ねている、“徹底的に調教され、無駄吠えすらすることのないタレント犬”が再登場したことで、虎於の感情が大きく揺さぶられることになります。
調教されたタレント犬が軽やかにジャンプを決める姿を見た虎於とメンバーのトウマは、「あれだけ身体能力が高いなら、本当はいつだって逃げ出せるんじゃないか」と、タレント犬のポテンシャルに驚愕します。
虎於がその光景を受けて、「それでも飼い主に従っているのは、あいつが馬鹿で臆病だからだ」と自虐的に呟く一方で、
同時に同じものを見ていた筈のトウマは、「それでも飼い主に従っているのは、きっと飼い主が大好きで、あの犬が優しくて賢いからだ」と感激を口にします。
虎於はトウマの言葉にはっとして、雨のなかでバレないように涙を拭い、とうとう自分のやりたい事に向き合う決意する…という流れ。
ぶっちゃけここ私もトウマと同じタイミングで同じことに気付いたんですけど、それでも、声を上げて泣きじゃくりました。
これは、頑張れなければ無価値だと思っていた愚かな子供は、けれど、報われたかっただけなんだよね。頑張ったね、偉いね、というメッセージなんです。
私も、虎於も、馬鹿で臆病だから怯えていたんじゃなかった。
他にもアイナナではアダルトチルドレン気質の子がトラウマを克服していく感動的なシーンがいくつもあるんですが、何せ私は虎於に一番近いものを感じていたこともあって、今回の配信分を読み、ただ家族を悲しませたくなかっただけなんだと、そう言って気付かせてもらったようで、烏滸がましい話ですが、自分のことのように胸を打たれました。
私の中で悲鳴を上げていた子供が、少しだけ笑って頷いてくれたような気がします。
このメッセージを届けてくれたアイドリッシュセブン、ありがとう。
ZOOLのライブ、当たりますように。(笑)
多分、すべての人間に得手不得手があるように、親に向いてない人も、絶対居ます。親になるべきでない人というのは存在します。
ですが、何故だか子供を産んで増やすということだけは、どんな人間だろうと諸手を挙げて許されてしまいます。
そして、例え愛情があってお金があって言葉があっても、時間や運が無かったり、タイミングが悪かったり、誰だってそうしたくて積み重ねたんじゃない不幸によって、何かが決定的に瓦解してしまう事は、あるんだと思います。
もちろん子供に子供らしくあること以外を強制することも、まして暴力や暴言で傷つけることも、絶対的な悪事であり、然るべき裁きを受けなければならないと思います。
けれど私がここまで読んでくれた同志に、最後に伝えたいことは、
憎い両親に、好きで居てほしい、愛されたいと思ってしまった自分を少しで良いから許してあげてもいいんじゃないの、ということです。
家族を許す必要は無いんです。
ただ、そこに居て、順応して、自分を傷つける家族の悪事に加担した自分のことを、どうか許してあげてほしいんです。
だって、子供だったんです。私も、両親も。間違っていたんです。正しいことなんか無かったんです。
そして私たちは、痛みを知っている分、その痛みから身を守る術も知っています。
だからその方法で、誰かを助けてあげることができるんです。
二度と、同じことで屈したりしない強さを持っているんです。
これも殆どアイドリッシュセブンからの受け売りですが、だから、自由になっていい。寂しくなっていい。甘えていい。引き留めてもいい。選んでいいんです。
何よりも、私やあなたが、笑顔でいられるように。
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いとぷ