伊藤ニコラス -7ページ目
この前斉木さんと堀とご飯に行った時に、二人から「ニコラスは多様性重視だよね」と言われました。いままであまり意識した事なかったのですが、言われてみればそんな気がします。確かに答辞なんかでも多様性重視的な事を言ってたしブログでも前に書きました。


僕がなんで多様性重視的な性格になったのかは、僕が小学生低学年の時、日本の小学校で見た目上の理由から少しいじめられていたからだと思います。

日本で育ってきて、文化や言葉なんかも周りと一緒の日本で育ってきたから、中身は同じはずなのに外面的な理由から周りからいやーな言葉を浴びさせられてきたわけです。

あの「おいガイジン!」と言われた時の悔しさったらすんごいんですから!味方より敵の方が多いような状況で一人になることが怖かったのが理由に、なにも言い返せなかった自分の不甲斐なさとか。みんな小学生なのにすげー嫌な顔で言ってくるんですよ笑

今となっちゃ笑えますが、当時は結構キツかったのを覚えてます。

で、、、
自分の中身は普通なはずなのに、外見を理由に周りから不当な扱いをされたためか、「オレは人それぞれの違いを受け入れよう!」とか、「みんな違って当たり前!」みたいな考えが僕の中に深く根付きました。

しかし、これは「違い」を持った人達に優しくしよう!みたいな事ではないです。どんな人にも敬意を持って接しよう!みたいな感じ。

同じ「ガイジン」を言われるにしても、敬意を、というか普通に接してくれる人が僕に言う「ガイジン?」と小学生の時に言われていた「ガイジン?」では、文字は同じでも、言葉として発せられる時に全く違う意味を持ってくるのです。そして後者として発せられた時には、もう無視できるような年齢になったとはいえ、決して気持ちは良くないものです。

「違い」を持った人達に優しく接しよう、という意味ではないと言ったのにはもう一つ理由があります。

それは「違い」をもった人達に対して「お前うざいよ」という権利も当たり前のようにあると僕が考えているからです。

乙武さんは著書「五体不満足」で
障害者と初めて出会った時に壁を感じてしまうのはしょうがないが、時間が経っても、つまり「慣れてない」と言う言葉が通じなくなっても、なお、その障害者に壁を感じてしまうようであればそれは障害者側の責任であると、ボクは思っている。そこで重要なのが、人柄・相性と言った問題であるのは、健常者同士のつきあいとなんら、変わりはない。
しばらく接していても、その人と付き合いづらいと感じたら「障害者だから」と変な同情を寄せて、無理につきあう必要はない。その時、その障害者が「差別だ」などと寝言を言ったら、きちんと教えてあげてほしい。「アンタの性格が悪いんだよ」と。


これを初めて読んだ時はちょっとびっくりしたんですけど、全くその通りなんですよね。敬意を持つ事と優しくしてあげる事はちがう。こいつやだなー、と思ったらイヤミったらしくみんなの前で言うんじゃなくて、1対1のときにハッキリと「お前うざいよ」と言えばいいんです。これも敬意を持って接することに含まれると僕は思っています。

また、違いをもった人達に「お前うざいよ」と言ったりすると、「そんな事言うのはヒドい」みたいな事を言い始める正義感に満ちあふれている人がたまにいますが、僕からしたらそう言う奴こそ全く彼らに敬意を持ってない。

そう言う人って最初から違いを持った人達を下に見てる感じがしちゃってあまり好きになれないんです。守ってあげなきゃ!みたいな発想が完全に相手を見下してる。

転校生とか留学生もそうです。「転校生だから話してあげないと可愛そう」っていう考えが好きじゃない。転校生だからとか関係なくフツーに話す事が一番だと思っています。いい奴だと思ったら仲良くすればいいし、転校してきて何ヶ月もたってるのに、こいつ嫌な奴だなー、って思ったら付き合うのをやめればいい。それだけ。


人から「多様性重視だね!」と言われてみて。確かに今まで自分が会ったことがないような新しいタイプの人達と会うことって僕はすごく刺激があって楽しい。それと同時に最初から自分と違う人に壁を作ってそのまま終わってしまう人とか、もったいなーっておもう。

自分と全く違う世界に住んでる人達の面白さったらすごいものがあるからね。



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