【1〜109まで、骨髄移植病院での入院でのアレコレアップしています。110〜は、もっとさかのぼって、病気になったころからのエピソードとなります。一度アメンバー限定ブログにあげたのをリメイクしています】
外泊許可がおりた土日。
8月5日(土) はれ
待ちに待った、今日ー。
シンとあえる日ー!
しんちゃん・・・。
8:00㏂に電話。
「も し も し。」
しんちゃん。
「でんしゃにのっていくねー。」
「ママのところにきてねー。」
しんちゃん・・・だいじなしんちゃんー。
焼肉たべにいこうねー・
ママといっしょに、ねんねしようねー。
駅に迎えに行った。
もう、今はない特急雷鳥。
この1か月の空白が、一気になくなったー。
みんなに内緒にしとこうー。
しんちゃんとママの楽しい時間ー。
夜になって、いつものように絵本を読んで、眠くてへとへとのくせに、がまんして、なかなか寝ない。
絵本読むほうも、読んでもらうほうも、同じように楽しくって、ケラケラふたりで笑って…、
心の底から楽しくって、わたしはー。言葉にならない。
電気を消して寝たー。
となりにママいるよー。
ひとりでもぞもぞ枕の下に頭をいれて、そのまま、すーっとねた。
びっくりするほど、寝つきがいい。
夜中泣くことはなくなった。
たまに、起きてもすぐ自分でなんとか眠るように苦労したのでしょうー。
ママがいないから。
でも、やはり何度も目が覚める。
ママが横にいるー。
ママをみて、にこーっと笑った…。
朝方も、何度も目が覚めた。
「あ、ママや!」
と言って、ぴったり顔をくっつけてくる。
おなかの上にのってくる。
仰向けでのせたまま、以前のようにギューッと抱いて寝る。
重いけどー。
いつもこうやって。
横になったらなったで、ぎゅーっと抱いて。
ママのいちばん幸せ、だったと、もうあきらめていたこと。
1日、ありがとう。
神様、ありがとう。
今までも、毎日幸せな、ひと時だと思ってすごしていたことー。
ぶっつり、なくなってからー。
もう、ないものとあきらめていたし。
過去のことになってしまっていたし。
ほんとうに、タイムスリップをしたように思った。
この日、1日だけだからいいよね、しんちゃん。
たくましく大きくなっていってるのを、ママはとめたくない。
ひとりで苦労して、色んなひとと交わっていってるのを、いいことだとおもって、傍観したい。
でもこの日一日だけ、ママとすごしてくれてありがとう。
神様、ありがとう。
中略
焼肉もたらふく食べたし。
シンが近くにいて。
あたりまえのことが、こんなにも素敵で、ありがたいなんて。
入院してよかったと、さえ思う。
モノの価値観が変わったし、ありがたいことだらけで。
心がきれいになったように思う。
心が清らかになったところで、神様に召されるのかもしれないなー。
1月1日。
うちは石川県ですが、南のほうなので、
震度5でしたから、まだマシでした。
でも結構揺れました。
能登半島が震源地で、ここからずい分離れていますので。
まだ、被害は少ないです。
ただ、近くの温泉旅館がどこもほぼ満室だったので、大打撃だったようでした。
うちの近辺では、人的被害はききませんでしたから、不幸中の幸い。
阪神淡路の震災では、大阪淀川区にいまして、そのときも震度5。
マンションの8Fでしたが、食器棚は倒れ、結構被害がありました。
そのあと、半年後に自分は病気になりました。
そういえば、H大も、壁がひび割れてしまって、入院中に工事で、なんどか部屋を変わったっけ。
今回のは、なんどもなんども、警報が鳴るので、それが怖かったし、ストレスだったと、みなさん口々に言われます。
昨日から、通常に仕事していますが、こられる患者さんがいろいろ被害を報告。
ちょうど、温泉旅館にチェックインしたら、被災とか。
能登にいる娘さんへ、水を届けに行ったりとか。
「でも、個人で援助にいくのは控えてほしいと、いわれたー。」
救助のためや、物資を運ぶトラックを優先しなくては。
地震が多い、日本列島です。
これから、東南海地震も想定されていますが。
最低限の備えは準備しておいたほうがいいです。
これからの季節、雪が多い北陸。
自然って、情け容赦なしですが。
こちらでは、
「能登はやさしや、土までも。」ということわざのような、言葉があります。
能登のひとは、素朴でやさしい。
外から、石川県に来た自分ですが、石川県のひとたち、みんなそんな気がします。
そして、非常に働きもので、忍耐強い。
いつも厳しい冬を乗り越えますから。
乗り越えましょう。
がんばりましょう。
次回
「183 S市民病院最後の夜」
金曜日更新予定です。
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